数字・統計このタグの資料 14 本

  1. 2000年以降の歌 配信で聞き、カラオケの定番は固まり、昭和の歌は海を渡った新着No.7

    2000年以降、歌はCDで買うものから、配信やサブスク、YouTubeで聞くものに変わった。日本レコード協会の推計では2025年の売上の43%が配信である。カラオケでは20年以上前の曲が上位に残り続け、演歌の1位は1977年の「津軽海峡・冬景色」から動かない。海外ではネットを通じて昭和のシティポップが見つかり、2025年の紅白歌合戦では松田聖子が最後に歌った。

  2. 1990年代の歌 ドラマ主題歌と小室サウンドがミリオンを量産し、通信カラオケが歌を広げた新着No.6

    1990年代は、CDシングルが100万枚売れることが珍しくなかった時代である。ドラマ主題歌が200万枚を超え、テレビにあまり出ないビーイング系、プロデューサー小室哲哉の「小室ファミリー」がヒットを続けた。日本のレコード・CDの生産金額は1998年に頂点に達する。同じころ通信カラオケとカラオケボックスが広がり、カラオケ参加人口は1995年度に最多になった。

  3. 1980年代の歌 聖子と明菜、ザ・ベストテン、そしてCDとカラオケボックス新着No.5

    1980年代は、松田聖子と中森明菜を頂点とするアイドル歌謡の時代で、TBS『ザ・ベストテン』が毎週の順位をテレビで見せた。山下達郎や大滝詠一らの都会的な音楽(のちにシティポップと呼ばれる)が売れ、演歌は「北酒場」のような明るい曲やテレサ・テンの歌で幅を広げた。1982年にCDが登場し、レーザーディスクのカラオケとカラオケボックスで、歌う場所が酒場の外へ広がった。

  4. 松本隆 はっぴいえんどの日本語ロックから、聖子と「木綿のハンカチーフ」の言葉へ新着No.94

    松本隆ははっぴいえんどのドラマーとして日本語でロックを歌う道を開き、のちに歌謡曲の作詞家に転じた。太田裕美「木綿のハンカチーフ」、寺尾聰「ルビーの指環」、松田聖子の一連の1位曲などを書き、シングル売上は作詞家で歴代3位とされる。古い言葉をあえて使う、手紙のやりとりで物語を進めるといった工夫が、詞の特徴として知られる。

  5. 筒美京平 洋楽の新しさを茶の間の歌に直した、売上歴代1位の作曲家新着No.93

    筒美京平はレコード会社の洋楽担当から作曲家になり、オリコン集計で作曲作品の売上7560.2万枚と、作曲家の歴代1位を持つ。「ブルー・ライト・ヨコハマ」から少年隊、TOKIOまで、半世紀近くヒットを出し続けた。テレビにほとんど出ない裏方で、2020年10月7日に80歳で亡くなった。

  6. 阿久悠 5000曲を書き、テレビでスターを作った歌謡曲黄金期の作詞家新着No.92

    阿久悠は広告会社と放送作家を経て作詞家になり、生涯に5000曲以上を書いた。日本レコード大賞の大賞を作詞家として最多の5曲で受け、『スター誕生!』の企画と審査員としてピンク・レディーや山口百恵らが世に出る場を作った。演歌からアイドルまで一人で書き分けたことが、1970年代の歌謡曲の幅をそのまま表している。

  7. 美空ひばり 子どもの歌手から「女王」へ、40年歌い続けた戦後の歌の中心新着No.91

    美空ひばりは1949年に12歳で本格デビューし、「悲しき口笛」「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」と時代ごとに大ヒットを出した。1989年に52歳で亡くなり、女性で初めての国民栄誉賞を受けた。日本コロムビアの発表では総売上は約1億1700万枚にのぼり、2025年もカラオケDAMの歌手別で15位に入っている。

  8. 歌番組とヒットチャート ベストテンの順位からストリーミングとカラオケを足すチャートへ新着No.63

    1968年にオリコンのシングルチャートと「夜のヒットスタジオ」が始まり、1971年に「スター誕生!」、1978年に「ザ・ベストテン」が始まった。歌番組は1989〜90年に相次いで終わり、ヒットの物差しは CD 売上へ、さらに配信へ移った。2008年に始まったビルボードジャパンの Hot 100 は、2018年からカラオケで歌われた回数もヒットの数に入れている。

  9. NHK紅白歌合戦 ラジオの正月番組が大晦日の国民行事になり、視聴率は80%台から30%台へ新着No.62

    紅白歌合戦は1951年1月3日、NHKラジオの正月番組として14組の歌手で始まった。1953年の第4回からテレビ放送と大晦日の放送になり、1963年には視聴率81.4%を記録した。1989年から二部制になり、第2部の視聴率は2023年に31.9%まで下がったが、2025年の第76回は35.2%だった。通算成績は2025年までで紅組34勝・白組42勝。

  10. カラオケ産業の数字 参加人口は1995年度の5,850万人が山、コロナで半分近くに落ち、2025年度に4,120万人まで戻った新着No.54

    全国カラオケ事業者協会の「カラオケ白書」によると、カラオケ参加人口は2019年度に約4,650万人だったが、コロナの広がった2020年度に約2,620万人へ4割減った。その後は戻り、2025年度は約4,120万人(2019年度の89%)。市場規模も2025年度は5,108億円で、2019年度の約5,765億円には届いていない。参加人口の山は1995年度の5,850万人とされる。

  11. カラオケでよく歌われる曲 年間ランキングに十年以上居座る定番と、50代・60代の歌新着No.53

    2025年の年間ランキングでは、JOYSOUND・DAMとも1位がMrs. GREEN APPLE「ライラック」、2位がVaundy「怪獣の花唄」だった。一方で「残酷な天使のテーゼ」「小さな恋のうた」「ハナミズキ」「ひまわりの約束」は2015年・2020年・2025年のどの年も上位30位に入っている。演歌・歌謡曲の部門では石川さゆりとテレサ・テンの曲が毎年上位を占める。

  12. 通信カラオケとカラオケボックス コンテナの個室と電話回線の曲配信が、歌う人を若者と女性に広げた新着No.52

    1985年ごろ、船や鉄道の貨物コンテナを改造したカラオケボックスが生まれ、カラオケは酒場の中年男性の遊びから、若者や家族の遊びに変わった。1992年には電話回線で曲を送る通信カラオケが登場し、JOYSOUND(1992年)とDAM(1994年)が業界を二分していく。採点機能は2000年代から細かくなり、点数を競う楽しみ方が広がった。

  13. 神田川(南こうせつとかぐや姫・1973年) 電話で読み上げた詞に、3分でメロディが付いた新着No.83

    1973年9月20日発売。作詞の喜多條忠が学生時代の同棲暮らしを思い出して約30分で詞を書き、電話で南こうせつに読み上げると、南はその場でメロディを付けたとされる。もとはアルバムの1曲だったが、深夜ラジオで流すとリクエストが殺到してシングルになり、オリコン1位、かぐや姫最大のヒットになった。歌詞の商標名をめぐって紅白出場を断ったことでも知られる。

  14. 川の流れのように(美空ひばり・1989年) 最後のシングルは、本人が選び直した一曲だった新着No.81

    美空ひばりの生前最後のシングル。もとはアルバムの表題曲で、スタッフは別の曲をシングルにするつもりだったが、ひばり本人の強い希望で入れ替わった。作詞の秋元康はニューヨークで見た川から想を得たと語っている。発売5か月後のひばりの死をへて売上が伸び、1997年のNHKの投票では「20世紀の日本人を感動させた歌」の1位に選ばれた。

ほかのタグ