No.92新着 阿久悠 5000曲を書き、テレビでスターを作った歌謡曲黄金期の作詞家
阿久悠は広告会社と放送作家を経て作詞家になり、生涯に5000曲以上を書いた。日本レコード大賞の大賞を作詞家として最多の5曲で受け、『スター誕生!』の企画と審査員としてピンク・レディーや山口百恵らが世に出る場を作った。演歌からアイドルまで一人で書き分けたことが、1970年代の歌謡曲の幅をそのまま表している。
本文と出典
あらまし
阿久悠は1937年2月7日、兵庫県の淡路島(津名郡鮎原村、現在の洲本市)に生まれた。1959年に広告会社の宣弘社に入り、1964年から放送作家としても仕事をし、1966年に会社を辞めた。作詞家としては1960年代後半に歩み始め、1970年代には歌謡曲の中心にいた。
生涯に書いた詞は5000曲を超える。ウィキペディアによれば、シングルの売上は合わせて6834.0万枚(2015年12月8日付までのデイリーランキング)で、作詞家として歴代2位である。日本レコード大賞では大賞を5曲、作詩賞を7回受け、どちらも最多とされる。2007年8月1日に70歳で亡くなった。
主なできごと
・1937年 淡路島に生まれる
・1959年 宣弘社に入社(1966年退社)
・1964年 放送作家として活動を始める
・1971年 「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)で日本レコード大賞。10月、日本テレビ『スター誕生!』が始まる
・1976年 「北の宿から」(都はるみ)で大賞。ピンク・レディーがデビュー
・1977年 「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)。「勝手にしやがれ」(沢田研二)で大賞
・1978年 「UFO」(ピンク・レディー)で大賞
・1979年 小説『瀬戸内少年野球団』(直木賞候補)
・1980年 「雨の慕情」(八代亜紀)で大賞
・1983年 9月、『スター誕生!』が終わる(放送619回)
・1997年 菊池寛賞
・1999年 紫綬褒章
・2007年 8月1日死去。旭日小綬章
書き分けの幅
大賞の5曲を並べると、阿久悠の幅がよく分かる。「また逢う日まで」は筒美京平の曲に乗せたポップスで、「北の宿から」は演歌、「勝手にしやがれ」は沢田研二の気取った男の歌、「UFO」はピンク・レディーの振り付けと一体の子ども向けの大ヒット、「雨の慕情」はまた演歌である。同じ人が数年のうちにこれだけ違う歌を書き、それぞれで頂点を取った。
「津軽海峡・冬景色」では、三木たかしが先に作った旋律に阿久が詞を付けた。ウィキペディアによると、阿久の側から題名の言葉で歌が締まるように頼んだという。詞は東京から青森へ行き、青函連絡船で北海道へ渡る人々を描く物語になっている。売上はミリオンセラーとされ、オリコンの週間最高は6位だった。
スター誕生!:テレビで歌手を選ぶ
『スター誕生!』は1971年10月3日から1983年9月25日まで日本テレビで日曜の午前に放送された。阿久悠は番組の企画者で、同時に審査員の一人だった。決戦大会では、芸能事務所とレコード会社の担当者がプラカードを上げて出場者を指名し、それで合格が決まった。この入札の形は阿久の提案とされる。
番組からは森昌子(初代グランドチャンピオン)、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、ピンク・レディー、小泉今日子、中森明菜らが出た。歌手の発掘から曲作りまでを一つの番組が担い、視聴者はスターが生まれる過程をテレビで見ていた。
歌を書く人としての立場
ウィキペディアの注記によれば、阿久はシンガーソングライターに対して生涯批判的で、自分のことや自分に近いことしか歌っていない、と見ていた。作詞家は歌手のために、聴く人の暮らしに向けて書くものだという考えがうかがえる。一方で、吉田拓郎の「結婚しようよ」について、フォークが社会に受け入れられていく象徴の曲だったとも述べている。
カラオケで歌うなら
JOYSOUNDの「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」(2025年1月1日〜11月15日、うたスキ会員の歌唱から集計)の60代総合では、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)が9位、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)が19位に入っている。60代女性では「津軽海峡・冬景色」が10位、60代男性では「また逢う日まで」が8位である。いずれも阿久悠の詞で、男女で歌われる曲が分かれているのは興味深い。
評価の分かれる点
作詞家としてのデビューの年は資料で違う。コトバンクのマイペディアは1965年のザ・スパイダースの曲とし、ブリタニカや『日本人名大辞典』は1968年ごろとしている。売上の「歴代2位」は、2015年12月時点のオリコンのデイリーランキングをもとにした数字である。
くらさんの考察
阿久悠の強みは、歌手ごとに主人公を作り分ける力だったと考えられる。広告と放送の仕事を経てきたため、歌を「歌手という商品をどう見せるか」という目で組み立てられた。『スター誕生!』でスターの候補を選び、そのスターに歌を書く。作詞家が歌手の出口と入口の両方を握っていたのは、テレビと歌謡曲が最も強く結びついていた1970年代ならではの形だったと考えられる。シンガーソングライターの時代が来ると、この形は少しずつ崩れていく。
ジージへの問いかけ
・「北の宿から」と「UFO」が同じ人の詞だと知って、意外に思いますか。
・『スター誕生!』でプラカードが上がる場面を、ジージは覚えていますか。テレビで歌手が選ばれるのを見るのは、どんな気分だったでしょうか。
・自分のことを歌うシンガーソングライターと、歌手のために書く職業作詞家と、ジージはどちらの歌により心を動かされますか。
出典
・ウィキペディア「阿久悠」 https://ja.wikipedia.org/wiki/阿久悠
・コトバンク「阿久悠」 https://kotobank.jp/word/阿久悠
・ウィキペディア「スター誕生!」 https://ja.wikipedia.org/wiki/スター誕生!
・ウィキペディア「津軽海峡・冬景色」 https://ja.wikipedia.org/wiki/津軽海峡・冬景色
・ウィキペディア「結婚しようよ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/結婚しようよ
・JOYSOUND 2025年 年代別カラオケ年間ランキング https://www.joysound.com/web/s/karaoke/feature/annual_age_2025
動画
・都はるみ / 北の宿から [リリックビデオ](都はるみ 公式YouTubeチャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=tA4QR2iwAFk
・石川さゆり「津軽海峡・冬景色」 LIVE Ver.(40周年記念 石川さゆり音楽会 感じるままに-歌芝居「一葉の恋」より)(TEICHIKU RECORDS)https://www.youtube.com/watch?v=QhGJQcN70gU
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