アイドルこのタグの資料 7 本

  1. 1980年代の歌 聖子と明菜、ザ・ベストテン、そしてCDとカラオケボックス新着No.5

    1980年代は、松田聖子と中森明菜を頂点とするアイドル歌謡の時代で、TBS『ザ・ベストテン』が毎週の順位をテレビで見せた。山下達郎や大滝詠一らの都会的な音楽(のちにシティポップと呼ばれる)が売れ、演歌は「北酒場」のような明るい曲やテレサ・テンの歌で幅を広げた。1982年にCDが登場し、レーザーディスクのカラオケとカラオケボックスで、歌う場所が酒場の外へ広がった。

  2. 1970年代の歌 フォークが大衆の歌になり、阿久悠と筒美京平が歌謡曲を磨いた新着No.4

    1970年代は、若者の弾き語りだったフォークがヒットチャートに入り、やがてニューミュージックへ変わっていった時代である。同時に、作詞家・阿久悠と作曲家・筒美京平が職業作家として歌謡曲の黄金期を支え、オーディション番組『スター誕生!』から山口百恵やピンク・レディーが出た。演歌も「北の宿から」「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを生み、スナックではカラオケが広がり始めた。

  3. 松本隆 はっぴいえんどの日本語ロックから、聖子と「木綿のハンカチーフ」の言葉へ新着No.94

    松本隆ははっぴいえんどのドラマーとして日本語でロックを歌う道を開き、のちに歌謡曲の作詞家に転じた。太田裕美「木綿のハンカチーフ」、寺尾聰「ルビーの指環」、松田聖子の一連の1位曲などを書き、シングル売上は作詞家で歴代3位とされる。古い言葉をあえて使う、手紙のやりとりで物語を進めるといった工夫が、詞の特徴として知られる。

  4. 筒美京平 洋楽の新しさを茶の間の歌に直した、売上歴代1位の作曲家新着No.93

    筒美京平はレコード会社の洋楽担当から作曲家になり、オリコン集計で作曲作品の売上7560.2万枚と、作曲家の歴代1位を持つ。「ブルー・ライト・ヨコハマ」から少年隊、TOKIOまで、半世紀近くヒットを出し続けた。テレビにほとんど出ない裏方で、2020年10月7日に80歳で亡くなった。

  5. 阿久悠 5000曲を書き、テレビでスターを作った歌謡曲黄金期の作詞家新着No.92

    阿久悠は広告会社と放送作家を経て作詞家になり、生涯に5000曲以上を書いた。日本レコード大賞の大賞を作詞家として最多の5曲で受け、『スター誕生!』の企画と審査員としてピンク・レディーや山口百恵らが世に出る場を作った。演歌からアイドルまで一人で書き分けたことが、1970年代の歌謡曲の幅をそのまま表している。

  6. 歌番組とヒットチャート ベストテンの順位からストリーミングとカラオケを足すチャートへ新着No.63

    1968年にオリコンのシングルチャートと「夜のヒットスタジオ」が始まり、1971年に「スター誕生!」、1978年に「ザ・ベストテン」が始まった。歌番組は1989〜90年に相次いで終わり、ヒットの物差しは CD 売上へ、さらに配信へ移った。2008年に始まったビルボードジャパンの Hot 100 は、2018年からカラオケで歌われた回数もヒットの数に入れている。

  7. アイドル歌謡 1971年の「新三人娘」から、テレビのオーディションと大人数グループへ新着No.36

    日本のアイドル歌謡は、南沙織・天地真理・小柳ルミ子がデビューした1971年を「アイドル元年」とすることが多い。同じ年に始まった『スター誕生!』から山口百恵らが出て、キャンディーズとピンク・レディーが1970年代後半を席巻した。1980年代は松田聖子と「花の82年組」の黄金時代で、1985年のおニャン子クラブが大人数グループの始まりになった。

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