No.93新着 筒美京平 洋楽の新しさを茶の間の歌に直した、売上歴代1位の作曲家
筒美京平はレコード会社の洋楽担当から作曲家になり、オリコン集計で作曲作品の売上7560.2万枚と、作曲家の歴代1位を持つ。「ブルー・ライト・ヨコハマ」から少年隊、TOKIOまで、半世紀近くヒットを出し続けた。テレビにほとんど出ない裏方で、2020年10月7日に80歳で亡くなった。
本文と出典
あらまし
筒美京平(本名・渡辺栄吉)は1940年5月28日、東京の牛込に生まれた。幼稚園からピアノを習い、青山学院大学の経済学部を出た。大学ではジャズに打ち込んでいる。1963年に日本グラモフォン(のちのポリドール、今のユニバーサルミュージック)に入り、洋楽担当のディレクターになった。大学の先輩で作詞家の橋本淳に勧められ、すぎやまこういちに作曲と編曲を学んだ。
1966年に作曲家としてデビューし、翌年から作曲を本業にした。1968年のいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」が初めてのオリコン1位になる。そこから1990年代、2000年代まで、歌謡曲、アイドル、アニメの主題歌と、分野を選ばずにヒットを書いた。晩年はパーキンソン病で療養し、2020年10月7日、誤嚥性肺炎のため80歳で亡くなった。
主なできごと
・1940年 東京に生まれる
・1963年 日本グラモフォンに入社、洋楽ディレクターに
・1966年 「黄色いレモン」で作曲家デビュー(ブリタニカなどによる)
・1968年 「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)。初のオリコン1位
・1971年 「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)で第13回日本レコード大賞
・1974年 「よろしく哀愁」(郷ひろみ)、「甘い生活」(野口五郎)
・1975年 「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)
・1979年 「魅せられて」(ジュディ・オング)で第21回日本レコード大賞
・1980年 「スニーカーぶる〜す」(近藤真彦)
・1985年 「仮面舞踏会」(少年隊)
・2003年 「AMBITIOUS JAPAN!」(TOKIO)。紫綬褒章
・2020年 10月7日死去
数字で見る筒美京平
ウィキペディアによると、作曲作品のシングル売上はオリコン集計で7560.2万枚、作曲家として歴代1位である。別の名義を加えると7600万枚を超える。作曲家別の年間売上1位は10回、年間売上の上位10人に入ったのは1968年から1989年まで22年続いた。オリコン1位の曲は39曲、上位10位に入った曲は200曲を超える。日本レコード大賞の作曲賞は5回で、作曲家で最多とされる。紅白歌合戦で歌われた作品は69曲にのぼる。
音楽評論家のスージー鈴木は東洋経済オンライン(2020年10月21日)で、7560万枚を小室哲哉の7184万枚と比べている。筒美の作曲での最高売上は「魅せられて」の124万枚で、小室の最高の230万枚よりかなり少ない。それでも総数でほぼ並ぶのは、音楽ソフトの市場が今よりずっと小さかった時代に、ヒットを数多く積み重ねたからだ、というのが鈴木の見方である。
洋楽を歌謡曲にする
同じ記事で鈴木は、筒美の方法を、最新の音楽の流れをつかみ、それを日本の茶の間になじむように加工したことだとまとめている。洋楽ディレクターとして海外のレコードに日常的に触れていた経歴が、その土台にあったと考えられる。
2021年のリアルサウンドの対談では、一緒に仕事をした音楽家がその姿を語っている。武部聡志は、筒美が誰よりも新しい音楽を聴いていたと振り返った。本間昭光は、制作の場に、聞いたこともない海外の歌手のB面の曲を参考に持ってくることがあったと話している。本間はまた、筒美の曲は2小節や4小節の短い前奏ですぐ歌に入るものが多いと指摘し、「歌謡でも洋楽でもない、オリジナルの日本の音楽」を作った人だと評した。
作詞家との組み合わせ
筒美は多くの作詞家と組んだ。最も多いのは橋本淳との約550曲で、初期の黄金コンビとされる。1980年代以降は松本隆と約380曲を作った。阿久悠とは約120曲で、「また逢う日まで」はこの組み合わせである。本人はテレビにほとんど出ず、2005年にBSフジの番組に出たのが数十年ぶりのテレビ出演だった。
カラオケで歌うなら
JOYSOUNDの「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」(2025年1月1日〜11月15日)では、60代総合で「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)が19位、60代男性で8位に入っている。確かめられた範囲で、2025年の公式ランキングの上位に入った筒美作品はこの曲である。
評価の分かれる点
作曲家としてのデビュー曲は資料で違う。コトバンクによれば、ブリタニカは1966年の「黄色いレモン」、『日本人名大辞典』は「ふたりの汐風」としている。「また逢う日まで」の受賞年を1970年とする資料もあるとコトバンクは注記している(レコード大賞の回次では1971年の第13回)。作曲数も、コトバンクの「3000曲近く」のように概数でしか示されていない。
くらさんの考察
筒美京平は、作る人というより「選んで直す人」だったと考えられる。海外の新しい響きを誰より早く聞き、それを日本の歌手の声と、テレビの前の家族の耳に合う形に作り替えた。短い前奏ですぐ歌に入る作り方も、歌番組で何十秒しか流れない時代の事情に合っていたと考えられる。名前を出さずに半世紀ヒットを書き続けたことは、作曲家が裏方だった時代の、最後の大きな例だったともいえる。
ジージへの問いかけ
・「ブルー・ライト・ヨコハマ」と「仮面舞踏会」が同じ作曲家だと聞いて、つながりを感じますか。
・テレビに出ない作曲家の名前を、ジージは当時どこで知りましたか。レコードのジャケットで作曲者の名前を見ていましたか。
・筒美の曲には洋楽の香りがあると言われます。ジージが洋楽っぽいと感じた歌謡曲はありますか。
出典
・ウィキペディア「筒美京平」 https://ja.wikipedia.org/wiki/筒美京平
・コトバンク「筒美京平」 https://kotobank.jp/word/筒美京平-1569693
・東洋経済オンライン スージー鈴木(2020年10月21日) https://toyokeizai.net/articles/-/382884?display=b
・リアルサウンド 武部聡志×本間昭光 対談(2021年3月24日) https://realsound.jp/2021/03/post-727360_3.html
・JOYSOUND 2025年 年代別カラオケ年間ランキング https://www.joysound.com/web/s/karaoke/feature/annual_age_2025
動画
・Blue Light Yokohama/ブルー・ライト・ヨコハマ (Ayumi Ishida/いしだあゆみ, 1969)(J-DIGS)https://www.youtube.com/watch?v=fqE3Yj6S6PQ
・ジュディ・オング 『魅せられて』『Over the Rainbow』ライブ映像(ジュディ・オング公式チャンネル - Judy Ongg Official Channel)https://www.youtube.com/watch?v=En4eH55wVTU
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