紅白歌合戦このタグの資料 14 本
- ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ・1968年) 川崎の工場の灯が、横浜の歌になった新着No.88
1968年12月25日に日本コロムビアから出た、いしだあゆみの26作目のシングル。作詞の橋本淳は、横浜の海から見た川崎方面の工場の灯にカンヌの夜景を重ねたとされ、題も初めは「ブルー・ライト・カワサキ」だった。オリコン週間1位を9週続け、作曲の筒美京平にとっても初の1位・初のミリオンセラーになった。2025年のDAM「演歌・歌謡」年間ランキングでも13位に入っている。
- 2000年以降の歌 配信で聞き、カラオケの定番は固まり、昭和の歌は海を渡った新着No.7
2000年以降、歌はCDで買うものから、配信やサブスク、YouTubeで聞くものに変わった。日本レコード協会の推計では2025年の売上の43%が配信である。カラオケでは20年以上前の曲が上位に残り続け、演歌の1位は1977年の「津軽海峡・冬景色」から動かない。海外ではネットを通じて昭和のシティポップが見つかり、2025年の紅白歌合戦では松田聖子が最後に歌った。
- 戦後の歌謡曲(1945〜1959) 焼け跡の明るい歌から、ひばりと望郷の歌へ新着No.2
敗戦の年の秋、映画『そよかぜ』の「リンゴの唄」が戦後最初のヒットになった。笠置シヅ子のブギ、少女歌手・美空ひばりの登場、「三人娘」と、明るくはずむ歌が続く一方、シベリア帰りの兵の「異国の丘」や、三橋美智也・春日八郎の故郷を思う歌も多くの人に歌われた。紅白歌合戦(1951年)と日本レコード大賞(1959年)もこの時代に始まる。
- 中島みゆき 4つの年代でシングル1位、「糸」と「地上の星」が今も歌われる新着No.95
中島みゆきは1975年にデビューし、同じ年に「時代」でポプコンと世界歌謡祭のグランプリを取った。「わかれうた」「悪女」「空と君のあいだに」「地上の星」で、オリコンの4つの年代にわたってシングル1位を得た唯一のソロ歌手である。2025年もカラオケDAMで「糸」が楽曲別31位、JOYSOUNDの60代で「糸」7位・「地上の星」13位に入っている。
- 美空ひばり 子どもの歌手から「女王」へ、40年歌い続けた戦後の歌の中心新着No.91
美空ひばりは1949年に12歳で本格デビューし、「悲しき口笛」「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」と時代ごとに大ヒットを出した。1989年に52歳で亡くなり、女性で初めての国民栄誉賞を受けた。日本コロムビアの発表では総売上は約1億1700万枚にのぼり、2025年もカラオケDAMの歌手別で15位に入っている。
- NHK紅白歌合戦 ラジオの正月番組が大晦日の国民行事になり、視聴率は80%台から30%台へ新着No.62
紅白歌合戦は1951年1月3日、NHKラジオの正月番組として14組の歌手で始まった。1953年の第4回からテレビ放送と大晦日の放送になり、1963年には視聴率81.4%を記録した。1989年から二部制になり、第2部の視聴率は2023年に31.9%まで下がったが、2025年の第76回は35.2%だった。通算成績は2025年までで紅組34勝・白組42勝。
- グループサウンズ ビートルズ来日のあと、エレキを鳴らす若者の集団が100組を超えた新着No.35
グループサウンズ(GS)は、エレキギターを弾きながら歌う若者のグループが1967〜1969年に大流行したものである。1966年のビートルズ来日のあとデビューが相次ぎ、1968年夏には100組を超えた。ブルー・コメッツは1967年にレコード大賞を取ったが、長髪や失神騒ぎで大人の反発も強く、1970年ごろにブームは終わった。
- ニューミュージック フォークでも歌謡曲でもない、自分で作って歌う人たちの名前新着No.34
ニューミュージックは、1970〜80年代に自分で作って歌う人たちの音楽を指した言葉である。フォークにロックなどを加え、生活の重さや思想を薄めた歌とされる。名づけ親ははっきりせず、範囲も文献によって違う。1978年には紅白に「ニューミュージック・コーナー」ができ、1990年代にJ-POPという言葉に置き換わった。
- 時の流れに身をまかせ(テレサ・テン・1986年) 日本の歌謡曲が、中国語でアジアに歌い継がれた新着No.87
1986年2月21日発売。荒木とよひさ・三木たかしがテレサ・テンに書いた3作目で、前の「つぐない」「愛人」と合わせて日本有線大賞と全日本有線放送大賞の3年連続グランプリになった。テレサ自身が中国語版「我只在乎你」を歌い、中国語圏でも代表曲として歌い継がれている。
- また逢う日まで(尾崎紀世彦・1971年) 二度ボツになったメロディが、レコード大賞を取った新着No.85
筒美京平の曲は、もとはエアコンのCMソング候補として作られて不採用になり、次に阿久悠の詞でズー・ニー・ヴーが「ひとりの悲しみ」として出したが売れなかった。阿久悠が詞を「別れ」に書き直し、尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」は1971年にオリコン1位、レコード大賞と日本歌謡大賞を同時に受けた。二人が納得して別れる、という描き方が新しかったとされる。
- なごり雪(伊勢正三・1974年/イルカ・1975年) かぐや姫のアルバム曲が、カバーで国民の春の歌になった新着No.84
かぐや姫の伊勢正三が21歳で作り、1974年のアルバム『三階建の詩』に入れた曲。翌1975年にイルカがシングルで歌うとオリコン4位、累計80万枚とされるヒットになった。モチーフは伊勢の故郷、大分県津久見の駅。「なごり雪」という言葉自体が当時はなく、批判もあったと伊勢は語っている。
- 神田川(南こうせつとかぐや姫・1973年) 電話で読み上げた詞に、3分でメロディが付いた新着No.83
1973年9月20日発売。作詞の喜多條忠が学生時代の同棲暮らしを思い出して約30分で詞を書き、電話で南こうせつに読み上げると、南はその場でメロディを付けたとされる。もとはアルバムの1曲だったが、深夜ラジオで流すとリクエストが殺到してシングルになり、オリコン1位、かぐや姫最大のヒットになった。歌詞の商標名をめぐって紅白出場を断ったことでも知られる。
- 天城越え(石川さゆり・1986年) 「この人にしか歌えない」を狙って作られ、カラオケでいちばん歌われる演歌になった新着No.82
1986年7月21日発売。作詞の吉岡治、作曲の弦哲也、編曲の桜庭伸幸が伊豆・天城湯ケ島の宿に泊まり込んで作った。カラオケブームのなかで、あえて石川さゆりにしか歌えない難しい曲を、という狙いだった。発売時のオリコン最高位は46位にとどまったが、紅白で繰り返し歌われ、DAMでは1994〜2018年に最も歌われた演歌とされる。
- 川の流れのように(美空ひばり・1989年) 最後のシングルは、本人が選び直した一曲だった新着No.81
美空ひばりの生前最後のシングル。もとはアルバムの表題曲で、スタッフは別の曲をシングルにするつもりだったが、ひばり本人の強い希望で入れ替わった。作詞の秋元康はニューヨークで見た川から想を得たと語っている。発売5か月後のひばりの死をへて売上が伸び、1997年のNHKの投票では「20世紀の日本人を感動させた歌」の1位に選ばれた。
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