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No.214新着 服部良一 ジャズの腕で「別れのブルース」から「東京ブギウギ」「青い山脈」まで書いた作曲家

1907年に大阪で生まれ、1993年に85歳で亡くなった作曲家。大阪でジャズを演奏しながら作曲を学び、1936年にコロムビアの専属となって「別れのブルース」で当たりをとった。戦後は笠置シヅ子との組で「東京ブギウギ」などを送り出し、没後に国民栄誉賞を受けた。

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登録日時
2026年10月28日 17:46
出典を確かめた日
2026年10月28日
分野
歌手と作り手
立場
くらさんの考察
タグ
歌謡曲新着作曲家新着女性と歌新着海外とのつながり新着レコード大賞新着紅白歌合戦新着
歌手・曲
服部良一、笠置シヅ子、淡谷のり子、別れのブルース、蘇州夜曲、東京ブギウギ、青い山脈
資料の種類
事典・概説
年代
1907〜1993年(1936年にコロムビア専属)

本文と出典

あらまし

服部良一は、1907年10月1日に大阪で生まれ、1993年1月30日に東京で亡くなった作曲家である。辞典類は生涯に3000曲以上を作曲したとする。作詞家としては「村雨まさを」の名も使った。
出発点はジャズである。少年音楽隊で楽器を覚え、大阪のバンドマンとして働きながら、指揮者エマヌエル・メッテルに作曲理論を学んだ。この二つの経験が、のちに歌謡曲にブルースやブギを持ち込む土台になった。
戦前のコロムビアで「別れのブルース」を当て、戦後は笠置シヅ子の舞台とレコードで「東京ブギウギ」を世に出した。同じ人が「蘇州夜曲」のような抒情的な歌と、跳ねるブギの両方を書いている点が、この人の特徴である。

主なできごと

・1907年10月1日 大阪に生まれる
・1933年2月 上京し、ダンスホールのバンドでサックスを吹く
・1936年 日本コロムビアの専属作曲家になる
・1937年 「別れのブルース」(作詞 藤浦洸、歌 淡谷のり子)が大ヒット
・1940年6月 映画「支那の夜」で「蘇州夜曲」が使われる。8月に渡辺はま子・霧島昇の歌でレコード発売
・1944年 上海へ渡り、李香蘭と上海交響楽団で「夜来香幻想曲」を発表
・1947年 「東京ブギウギ」を笠置シヅ子が録音(9月10日)。SP盤の発売は1948年1月
・1949年 「青い山脈」(作詞 西條八十、歌 藤山一郎・奈良光枝)
・1950年6月 「買物ブギ」(作詞 村雨まさを)発売
・1951年11月 日本劇場で「服部良一作曲二千曲記念ショー」
・1993年1月30日 85歳で死去。2月26日に国民栄誉賞が授与される

くわしく:ジャズから歌謡曲へ

出身地の表記は資料で揺れる。ウィキペディアは、枠内の情報では天王寺区、本文では東成区と書いており、ここでは「大阪」とだけ記した。父は土人形師で、子どもの頃は江州音頭や河内音頭に親しんだという。
1936年にコロムビアの専属になった。ウィキペディアの「別れのブルース」の項によると、横浜・本牧のバーで淡谷のり子が「暗い日曜日」を歌うのを聴き、本牧を舞台にしたブルースを彼女に歌わせようと考えた。題は当初「本牧ブルース」だったが、会社側の批判で「別れのブルース」に改まった。ソプラノで知られる淡谷は低い音域に不安があり、服部に説得されて録音に臨んだとされる。
売れ方は一気ではなかった。同項は、会社の宣伝が少なく、秋になって大連や満州で人気が出て、問い合わせで17万枚を超えていたことが分かってから宣伝が強まったと書く。そのあと各地を経て東京で大きく売れた。淡谷は「ブルースの女王」と呼ばれるようになる。ただし服部克久は、この曲がブルースの和音を使っていないこと、シャンソンなどの影響があることを指摘しているという。

くわしく:戦時中

太平洋戦争が始まると、服部が手がけたジャズ系の音楽は敵性音楽として排除された。ウィキペディアによれば、1942年に渡辺はま子の「風は海から」、1943年に李香蘭の「私の鶯」を発表し、軍歌一色のなかで数少ない抒情的な作風と評価された。コトバンクの辞典記述は、戦時中に軍歌を作らなかったとする。
「夜のプラットホーム」は、ウィキペディアによれば1939年に淡谷のり子が吹き込んだが、出征兵士の士気をそぐという理由で発売禁止になった。コトバンクも、退廃的との理由で発売禁止になったと記す。
1944年の上海行きについて、ウィキペディアは、ジャズの活動の場を求めたとし、軍歌作曲の依頼から逃れるためだったという説もあると書く。理由は一つに決められない。
「蘇州夜曲」は、李香蘭が歌うことを念頭に作られ、1940年6月公開の映画「支那の夜」で使われたとされる。歌ったレコードは同年8月に出た。のちに秋吉敏子、美空ひばり、平原綾香、桑田佳祐などがこの曲を取り上げている(ウィキペディアの「蘇州夜曲」の項)。

くわしく:笠置シヅ子との仕事

ウィキペディアの「笠置シヅ子」の項によれば、二人は1938年、松竹楽劇団の旗揚げの頃に出会った(初対面の日付は本人の記憶と記録で食い違う)。1939年7月の公演のために服部が「ラッパと娘」を書き、のちに日本コロムビアから最初のレコードとして出た。
戦後の1947年、服部は笠置のために「東京ブギウギ」を書いた。電車のレールの継ぎ目の音から旋律を思いついたという逸話があるが、小川寛興は、服部が楽譜をなくして記憶で書き直したと証言しており、ウィキペディアは両説を並べている。作詞は鈴木勝。1947年9月に大阪の梅田劇場で初めて歌われ、同年10月からの日劇の公演を経て、1948年3月の日劇ショーで大きく広まった。直立して歌うのが普通だった時代に、笠置は舞台で踊りながら歌い、戦後の解放感と結びついたと同項は述べる。
発売当時の売上は27万枚(『各界成功伝うらおもて』、1957年)、1968年時点の累計は70万枚(堀内敬三『音楽明治百年史』)とされる。数え方が違う資料の数字であり、確定した枚数ではない。
1950年の「買物ブギ」は、作詞が村雨まさを、つまり服部自身である。笠置は1957年に歌手をやめると公表した。服部に相談なく決めたため、服部は怒ったが、のちにその潔さをたたえるようになった。1985年に笠置が亡くなったとき、葬儀委員長を務めたのも服部である。

くわしく:後世への影響

服部は日本作曲家協会の2代目会長を1978年から1993年まで務めた(初代は古賀政男)。古賀政男らとともに日本レコード大賞の創設に尽力したともされる。受章は、紫綬褒章(1969年)、勲三等瑞宝章(1978年)、日本作詩大賞特別賞(1983年)などで、国民栄誉賞は没後の1993年に授与された。ウィキペディアは、作曲家としては古賀政男に次ぐ2人目としている。2007年の第49回日本レコード大賞では特別賞を受けた。
家族にも作曲家が続く。長男の服部克久、その長男の服部隆之が作曲家で、隆之の長女の服部百音はヴァイオリニストである。
曲は今も使われる。「東京ブギウギ」はJASRACの国内作品分配額ランキングで2012年度から2015年度まで4年続けてトップ10に入った。2023年にはNHKの連続テレビ小説「ブギウギ」が笠置をモデルに放送され、劇中歌としても配信された。「青い山脈」は、1981年のTBSの特番と1989年のNHKの番組の人気調査で、それぞれ1位になったとされる。

カラオケで歌うなら

今回の調査では、DAM・JOYSOUNDの原曲キー、音域、難易度を公式の資料で確かめられなかったため書かない。曲の性格だけ言えば、「青い山脈」は明るい行進曲風、「東京ブギウギ」は弾むリズムが中心で、どちらも集まりの席で歌われやすい曲と考えられる。歌う前に、機器で原曲キーを確かめるとよい。

評価の分かれる点

「別れのブルース」が本物のブルースかどうかは、分かれる。服部克久の指摘のように、ブルースの和音を使っていないという見方がある一方で、日本の歌謡曲にブルースという名と気分を定着させた曲として扱われてきた。
「東京ブギウギ」の旋律の生まれ方は、ナプキンに書き留めた話と、楽譜をなくして書き直した話で食い違う。上海行きの理由も、一つに決められない。

くらさんの考察

以下は資料にもとづくくらさんの推測である。
服部の仕事は、ジャズの語法を歌謡曲の側に翻訳し続けた点にあると考えられる。ブルース、ブギ、シンフォニック・ジャズと形は変わっても、聴き手が歌える旋律にまとめている。「蘇州夜曲」や「青い山脈」の旋律の素直さと、「東京ブギウギ」の跳ねるリズムが同じ作り手から出ていることは、この見方と合う。
戦時中に軍歌を作らなかったという記述が正しいなら、戦後に笠置のような歌手と組んで一気に名曲を並べられたことも、戦前に培った技術が途切れなかったことと関係すると考えられる。ただし、これは資料からの推測であり、確かめたものではない。

ジージへの問いかけ

・「青い山脈」や「東京ブギウギ」を初めて聴いた頃の思い出はありますか。
・服部良一の曲のうち、一番カラオケで歌いたいのはどれでしょうか。
・笠置シヅ子のように、踊りながら歌う歌手を最初に見たときの印象はどうだったと思いますか。

出典

・ウィキペディア「服部良一」 https://ja.wikipedia.org/wiki/服部良一
・ウィキペディア「別れのブルース」 https://ja.wikipedia.org/wiki/別れのブルース
・ウィキペディア「蘇州夜曲」 https://ja.wikipedia.org/wiki/蘇州夜曲
・ウィキペディア「東京ブギウギ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/東京ブギウギ
・ウィキペディア「青い山脈 (曲)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/青い山脈_(曲)
・ウィキペディア「笠置シヅ子」 https://ja.wikipedia.org/wiki/笠置シヅ子
・コトバンク「服部良一」 https://kotobank.jp/word/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E8%89%AF%E4%B8%80-172909
・デイリースポーツ(服部克久の訃報記事、2020年6月12日) https://www.daily.co.jp/gossip/2020/06/12/0013417234.shtml

動画

・東京ブギウギ(Shizuko Kasagi - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=0e-AiyIjydI

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