女性と歌このタグの資料 14 本
- ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ・1968年) 川崎の工場の灯が、横浜の歌になった新着No.88
1968年12月25日に日本コロムビアから出た、いしだあゆみの26作目のシングル。作詞の橋本淳は、横浜の海から見た川崎方面の工場の灯にカンヌの夜景を重ねたとされ、題も初めは「ブルー・ライト・カワサキ」だった。オリコン週間1位を9週続け、作曲の筒美京平にとっても初の1位・初のミリオンセラーになった。2025年のDAM「演歌・歌謡」年間ランキングでも13位に入っている。
- 戦後の歌謡曲(1945〜1959) 焼け跡の明るい歌から、ひばりと望郷の歌へ新着No.2
敗戦の年の秋、映画『そよかぜ』の「リンゴの唄」が戦後最初のヒットになった。笠置シヅ子のブギ、少女歌手・美空ひばりの登場、「三人娘」と、明るくはずむ歌が続く一方、シベリア帰りの兵の「異国の丘」や、三橋美智也・春日八郎の故郷を思う歌も多くの人に歌われた。紅白歌合戦(1951年)と日本レコード大賞(1959年)もこの時代に始まる。
- 戦前・戦中の歌(〜1945) 劇の歌がレコードで広まり、流行歌という商売が生まれた新着No.1
日本の流行歌は、1914年に劇の中で歌われた「カチューシャの唄」から始まったとされる。昭和に入ると外国資本と国内資本のレコード会社がそろい、古賀政男と藤山一郎、淡谷のり子らのヒットが生まれた。日中戦争からは軍歌と国民歌謡が流行歌の場を占め、1945年の敗戦で区切りを迎える。
- 中島みゆき 4つの年代でシングル1位、「糸」と「地上の星」が今も歌われる新着No.95
中島みゆきは1975年にデビューし、同じ年に「時代」でポプコンと世界歌謡祭のグランプリを取った。「わかれうた」「悪女」「空と君のあいだに」「地上の星」で、オリコンの4つの年代にわたってシングル1位を得た唯一のソロ歌手である。2025年もカラオケDAMで「糸」が楽曲別31位、JOYSOUNDの60代で「糸」7位・「地上の星」13位に入っている。
- 美空ひばり 子どもの歌手から「女王」へ、40年歌い続けた戦後の歌の中心新着No.91
美空ひばりは1949年に12歳で本格デビューし、「悲しき口笛」「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」と時代ごとに大ヒットを出した。1989年に52歳で亡くなり、女性で初めての国民栄誉賞を受けた。日本コロムビアの発表では総売上は約1億1700万枚にのぼり、2025年もカラオケDAMの歌手別で15位に入っている。
- シティポップ 1980年代の都会の音楽が、40年後にインターネットで世界に見つかった新着No.37
シティポップは、1970年代後半から1980年代に流行した、洋楽の響きを持つ都会的なポップスである。山下達郎、竹内まりや、大滝詠一、杏里らが代表で、1980年代前半が全盛期だった。2010年代後半、YouTubeやSpotifyを通じて海外で聴かれ始め、竹内まりや「プラスティック・ラヴ」や松原みき「真夜中のドア」が世界で知られるようになった。
- アイドル歌謡 1971年の「新三人娘」から、テレビのオーディションと大人数グループへ新着No.36
日本のアイドル歌謡は、南沙織・天地真理・小柳ルミ子がデビューした1971年を「アイドル元年」とすることが多い。同じ年に始まった『スター誕生!』から山口百恵らが出て、キャンディーズとピンク・レディーが1970年代後半を席巻した。1980年代は松田聖子と「花の82年組」の黄金時代で、1985年のおニャン子クラブが大人数グループの始まりになった。
- ニューミュージック フォークでも歌謡曲でもない、自分で作って歌う人たちの名前新着No.34
ニューミュージックは、1970〜80年代に自分で作って歌う人たちの音楽を指した言葉である。フォークにロックなどを加え、生活の重さや思想を薄めた歌とされる。名づけ親ははっきりせず、範囲も文献によって違う。1978年には紅白に「ニューミュージック・コーナー」ができ、1990年代にJ-POPという言葉に置き換わった。
- 演歌 演説の歌が流しの「艶歌」を経て、1970年ごろ「日本の心」の歌として名前を得た新着No.32
「演歌」はもともと明治の自由民権運動で、演説の代わりに歌われた歌を指した。今の意味の演歌は、1960年代の「艶歌」を経て、1970年ごろに民謡調や浪曲調の歌謡曲をまとめて呼ぶ名前として定着した。輪島裕介『創られた「日本の心」神話』は、演歌が昔からの日本の心だという見方そのものが1960年代以降に作られたと論じた。
- 時の流れに身をまかせ(テレサ・テン・1986年) 日本の歌謡曲が、中国語でアジアに歌い継がれた新着No.87
1986年2月21日発売。荒木とよひさ・三木たかしがテレサ・テンに書いた3作目で、前の「つぐない」「愛人」と合わせて日本有線大賞と全日本有線放送大賞の3年連続グランプリになった。テレサ自身が中国語版「我只在乎你」を歌い、中国語圏でも代表曲として歌い継がれている。
- 銀座の恋の物語(石原裕次郎・牧村旬子・1961年) 映画スターと17歳の歌手の、デュエットの元祖新着No.86
1961年にテイチクから出た石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲。映画『街から街へつむじ風』の挿入歌として広まり、翌1962年には同じ題名の日活映画も作られた。公称300万枚とされ、通称「銀恋」。カラオケが生まれる前のムード歌謡のデュエットだが、今もカラオケでデュエットの定番として歌われている。
- なごり雪(伊勢正三・1974年/イルカ・1975年) かぐや姫のアルバム曲が、カバーで国民の春の歌になった新着No.84
かぐや姫の伊勢正三が21歳で作り、1974年のアルバム『三階建の詩』に入れた曲。翌1975年にイルカがシングルで歌うとオリコン4位、累計80万枚とされるヒットになった。モチーフは伊勢の故郷、大分県津久見の駅。「なごり雪」という言葉自体が当時はなく、批判もあったと伊勢は語っている。
- 天城越え(石川さゆり・1986年) 「この人にしか歌えない」を狙って作られ、カラオケでいちばん歌われる演歌になった新着No.82
1986年7月21日発売。作詞の吉岡治、作曲の弦哲也、編曲の桜庭伸幸が伊豆・天城湯ケ島の宿に泊まり込んで作った。カラオケブームのなかで、あえて石川さゆりにしか歌えない難しい曲を、という狙いだった。発売時のオリコン最高位は46位にとどまったが、紅白で繰り返し歌われ、DAMでは1994〜2018年に最も歌われた演歌とされる。
- 川の流れのように(美空ひばり・1989年) 最後のシングルは、本人が選び直した一曲だった新着No.81
美空ひばりの生前最後のシングル。もとはアルバムの表題曲で、スタッフは別の曲をシングルにするつもりだったが、ひばり本人の強い希望で入れ替わった。作詞の秋元康はニューヨークで見た川から想を得たと語っている。発売5か月後のひばりの死をへて売上が伸び、1997年のNHKの投票では「20世紀の日本人を感動させた歌」の1位に選ばれた。
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