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No.32新着 演歌 演説の歌が流しの「艶歌」を経て、1970年ごろ「日本の心」の歌として名前を得た

「演歌」はもともと明治の自由民権運動で、演説の代わりに歌われた歌を指した。今の意味の演歌は、1960年代の「艶歌」を経て、1970年ごろに民謡調や浪曲調の歌謡曲をまとめて呼ぶ名前として定着した。輪島裕介『創られた「日本の心」神話』は、演歌が昔からの日本の心だという見方そのものが1960年代以降に作られたと論じた。

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登録日時
2026年10月23日 21:15
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
ジャンル
立場
くらさんの考察
タグ
演歌新着歌謡曲新着女性と歌新着カラオケ新着レコード大賞新着
歌手・曲
川上音二郎、添田唖蝉坊、美空ひばり、都はるみ、藤圭子、石川さゆり
資料の種類
事典・概説
年代
1889〜2025年

本文と出典

あらまし

「演歌」という言葉は二度生まれている。一度目は明治で、自由民権運動の壮士たちが演説の代わりに街頭で歌った「演説歌」を指した。これが大正には伴奏つきの大道芸になり、昭和の初めにレコードとラジオに押されて消えた。
二度目は1960年代である。夜の街の流しの歌が「艶歌」と呼ばれ、作家の五木寛之がそれを小説にした。1970年ごろには、民謡調・浪曲調・ムード歌謡など日本調の歌謡曲をまとめて「演歌」と呼ぶようになる。こぶしをきかせ、義理人情をうたう今の演歌のイメージは、この時期に固まった。

主なできごと

・1889年 川上音二郎作「オッペケペー」が作られる(日本大百科全書による。1891年に東京でも大流行)
・明治後期〜昭和初め 演歌師がバイオリンなどを弾きながら盛り場で歌い、歌の本を売る
・1961年 村田英雄「王将」
・1964年 都はるみがデビューし「アンコ椿は恋の花」がヒット。朝日新聞(12月13日付)が日本調の曲を「演歌」と呼んだ最初の例とされる
・1966年 五木寛之が小説『艶歌』を発表。美川憲一「柳ヶ瀬ブルース」が有線放送からヒット
・1969年 藤圭子がデビュー
・1970年 『現代用語の基礎知識』に「演歌(艶歌)」の項目が立つ。オリコンが演歌のランキングを集計し始める
・1977年 石川さゆり「津軽海峡・冬景色」(作詞・阿久悠、作曲・三木たかし)。第19回日本レコード大賞歌唱賞
・2010年 輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)。2011年に第33回サントリー学芸賞

明治の演歌:演説の代わりの歌

コトバンクに載るデジタル大辞泉は、演歌を明治10年代に自由民権運動の壮士が主義主張を歌にして街頭で歌ったものと説明し、語源を「演説歌」としている。演説会への取り締まりが厳しくなり、歌の形にしたほうが伝えやすかったという事情がある。日本大百科全書は川上音二郎の「オッペケペー」を演歌のはじまりとし、京都の寄席で人気を集めたと書く。ウィキペディアは、オッペケペー節が旋律に乏しく、今のラップに近いと紹介している。
20世紀に入ると、歌は社会への風刺から離れていく。バイオリンの伴奏がつき、歌い手は壮士から書生に移り、人情物の歌を聞かせる大道芸になった。添田唖蝉坊はこの時代の代表的な演歌師で、社会主義の色を帯びた歌も作った。百科事典マイペディアによると、レコードとラジオが広まった昭和の初めに、街頭の演歌師は姿を消した。

1960年代の艶歌と、ジャンルの成立

ウィキペディアによると、1960年前後の「艶歌」は、夜の街を歌って回る流しの系統の歌を指す狭い言葉だった。コロムビアのプロデューサー馬淵玄三が手がけたこまどり姉妹がその代表である。1966年、五木寛之は馬淵をモデルに小説『艶歌』を書き、社会を批判する「演歌」が芸能になって「艶歌」になり、さらに庶民の恨みをうたう「怨歌」になったと位置づけた。
1964年には都はるみが「アンコ椿は恋の花」でヒットを出し、1966年には美川憲一「柳ヶ瀬ブルース」が有線放送から火がついた。1969年に藤圭子がデビューし、ウィキペディアはこれが演歌のイメージを決定づけたとしている。1970年には、民謡調・浪曲調・懐メロ・ムード歌謡をまとめて「演歌」と呼ぶようになり、オリコンも演歌のランキングを始めた。ブリタニカ国際大百科事典は、演歌が1960年代に伝統色の強いジャンルとして確立し、1980年代以降はカラオケブームを背景に中高年に支持されていると書く。
代表的な歌手として、ウィキペディアは男性では春日八郎・三橋美智也・三波春夫・村田英雄・北島三郎・森進一・五木ひろし・細川たかし・氷川きよし、女性では美空ひばり・島倉千代子・都はるみ・藤圭子・小林幸子・石川さゆり・八代亜紀を挙げている。

カラオケで歌うなら

JOYSOUNDの「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」(2025年1月1日〜11月15日、会員の歌唱記録で集計)では、60代の上位20曲に石川さゆり「津軽海峡・冬景色」が9位、里見浩太朗と横内正の「あゝ人生に涙あり」が17位で入っている。ただ、60代の上位はニューミュージックや80年代の歌が多く、演歌は2曲にとどまる。
DAMの「2025年年間カラオケランキング」(2025年1月1日〜11月15日)では、その年に出た演歌・歌謡曲の1位が水森かおり「大阪恋しずく」、2位が天童よしみ「昭和ごころ」だった。歌手別の上位20組に演歌から入ったのは美空ひばりだけと発表されている。新しい演歌は今も毎年出ており、その年の演歌・歌謡曲の順位が別に集計されている。一方で、全体の順位では演歌の存在感は昔より小さいと考えられる。

評価の分かれる点

演歌の始まりをどこに置くかは意見が分かれる。辞書は明治の演説歌を源流とするが、輪島裕介は『創られた「日本の心」神話』で、明治の演歌と今の演歌は別物であり、演歌を「日本の心」とする見方は1960年代後半以降に作られたと論じた。ウィキペディアの演歌の記事は、この時期の説明の多くを輪島の著作に拠っている。また、平山朝治は「演歌というジャンルの発祥は都はるみにある」と述べている。どの歌手・どの年を出発点とするかは、論者によって違う。

くらさんの考察

演歌の歴史をたどると、名前と中身が何度も入れ替わっている。明治の演歌は政治の歌で、昭和の演歌は人情の歌である。両者をつないだのは、街で歌う芸人の系譜と、「演歌」という言葉の響きだと考えられる。「昔からある日本の心の歌」という感じ方自体が1970年前後に作られたという輪島の指摘は、演歌を好きな人にとっても、なぜ自分がそう感じるのかを考える手がかりになると考えられる。

ジージへの問いかけ

・ジージは、演歌を「昔からある日本の歌」と感じますか。それとも1970年ごろの新しい歌と感じますか。
・都はるみ、藤圭子、石川さゆりのうち、ジージにとって「演歌らしい」と感じるのはだれでしょうか。
・カラオケで演歌を歌う人が減っていると感じることはありますか。

出典

・ウィキペディア「演歌」 https://ja.wikipedia.org/wiki/演歌
・コトバンク「演歌」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・世界大百科事典・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典) https://kotobank.jp/word/%E6%BC%94%E6%AD%8C-170980
・ウィキペディア「輪島裕介」 https://ja.wikipedia.org/wiki/輪島裕介
・ウィキペディア「津軽海峡・冬景色」 https://ja.wikipedia.org/wiki/津軽海峡・冬景色
・JOYSOUND「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」 https://www.joysound.com/web/s/karaoke/feature/annual_age_2025
・DAM「2025年年間カラオケランキング」発表資料(デジタルPR) https://digitalpr.jp/r/123165

動画

・石川さゆり「津軽海峡・冬景色」 LIVE Ver.(40周年記念 石川さゆり音楽会 感じるままに-歌芝居「一葉の恋」より)(TEICHIKU RECORDS)https://www.youtube.com/watch?v=QhGJQcN70gU
・都はるみ / 北の宿から [ライブ映像](都はるみ 公式YouTubeチャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=siNlA_j55sQ

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