No.207新着 津軽海峡・冬景色(石川さゆり・1977年) アルバムの12月の曲が、紅白の定番になるまで
1977年元日発売の石川さゆりの代表曲。もとは1年12か月を歌うコンセプトアルバムの12月の曲で、大阪のコンサートで拍手が最も大きかったためシングルになったと伝わる。オリコン最高6位、第19回日本レコード大賞歌唱賞を受け、紅白では2007年から2023年まで「天城越え」と交互に歌われた。
本文と出典
あらまし
「津軽海峡・冬景色」は、1977年1月1日に日本コロムビアから発売された石川さゆりのシングルである。作詞は阿久悠、作曲と編曲は三木たかしが手がけた。冬の夜行列車で上野から青森へ向かい、連絡船で津軽海峡を渡る旅人の目で、別れの情景を描く。
この曲は、石川さゆりがアイドル歌手から本格的な演歌歌手へ移る転機になったとされる。発売から半世紀近くたった今も、年末の紅白歌合戦で歌われ、カラオケでも冬の定番として選ばれている。
主なできごと
・1976年11月 コンセプトアルバム『365日恋もよう』発売。この曲は12月の曲として収められる
・1977年1月1日 シングルとして発売
・1977年 オリコン週間最高6位。年間では1977年度16位、1978年度64位
・1977年 第19回日本レコード大賞で歌唱賞。ほかに「'77FNS歌謡祭」のグランプリと最優秀歌唱賞、第10回日本作詩大賞の大衆賞
・1977年12月 第28回NHK紅白歌合戦に初出場し、この曲を歌う
・1995年・1996年 青森市の八甲田丸の横と竜飛岬に歌謡碑が建つ
・2007〜2023年 紅白で「天城越え」と交互に歌われる(奇数年に歌唱)
・2024年 紅白では能登半島地震を受けて「能登はいらんかね」を歌う
・2025年 第76回紅白では「天城越え」を歌う(NHKの発表は12月19日)
生まれたいきさつ:1年12か月のアルバムの最後の曲
ウィキペディアによると、この曲は1976年11月発売のコンセプトアルバム『365日恋もよう』の最後を飾る12月の曲として作られた。アルバムは1月から12月までの月をテーマにした12曲で、少女が1年のうちに大人の女性へ育っていく筋立てだったという。題名が先に決まり、阿久悠は詞の最後を「津軽海峡冬景色」の語で終えるよう求めた。題名の中黒(・)については、阿久自身が理由を覚えておらず、のちには不要だったと考えるようになったとされる。
シングルになった経緯は、週刊現代の座談(2016年)で紹介されている。当時のホリプロ創業者・堀威夫は、ヒットに恵まれない石川を何とかしたいと考え、大阪の新歌舞伎座でコンサートを開いた。そこで最も拍手が多かったのがこの曲で、シングルカットにつながったという。語っているのは作家の三田完らで、制作側の当事者の発言ではない点に注意が必要である。
曲づくりについて、三木たかしは「イメージの中の荒波」から編曲を組み立てたと語ったとされる。冒頭の印象的な前奏は、冬の海の厳しさを思って作ったという。UtaTenの記事(2017年)は、石川が初めて聴いたとき「何だこの曲は」と衝撃を受けたと伝えている。前奏のテナーサックスは佐野正明が吹いた(ウィキペディア)。
当時の受け止めと売上
オリコンの週間順位は最高6位で、年間順位は1977年度が16位、1978年度が64位である。2年にわたって年間ランキングに入ったことになる。累計売上はミリオンセラーとされるが、ウィキペディアに枚数と数え方の記載はなく、確かめられる数字は見つけられなかった。したがって「100万枚」は、集計元が不明な通説として扱うべきである。
受賞は先に挙げた4つである。レコード大賞は大賞ではなく歌唱賞だった。この点は、受賞の名前だけが一人歩きしやすいので、正確に書いておく。
紅白と歌い継がれ方
石川は1977年(第28回)に紅白初出場を果たし、1982年、1993年、2000年にもこの曲を歌った。2007年(第58回)からは「天城越え」と1年おきに歌い分け、「津軽海峡・冬景色」は2007年から2023年まで奇数年に9回歌われた(オリコンの2025年12月の記事で、2007〜2025年の表を確認した)。ウィキペディアによれば、紅組のトリでこの曲を歌ったのは1993年、2007年、2011年、2017年の4回である。
歌碑は、1995年7月に青森市の青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の横、1996年7月に竜飛岬に建てられた。竜飛崎の碑は、ボタンを押すと2番だけが流れる仕組みだという。歌に出てくる青函連絡船は、青函トンネルの開通で1988年に終わっている(ウィキペディア)。曲の舞台は、その後に消えた旅の形でもある。
カバーも多い。ウィキペディアは、細川たかし(1978年)、テレサ・テンの中国語版(1979年)、アンジェラ・アキ(2011年)、山崎まさよし(2011年)などを挙げる。
カラオケで歌うなら
ソロ曲で、デュエット曲ではない。原曲のキー、DAMやJOYSOUNDの公式ランキングでの順位は、今回の調べでは確認できなかった。ここに書けるのは、年末に紅白で毎年のように歌われる曲なので、UtaTenが「年の瀬を感じさせる曲」という新しい意味を持ち始めていると述べていること(2017年)くらいである。
評価の分かれる点
作り方の説明が一致しない。週刊現代の座談では、メロディが先にでき、あとから詞を付けた「メロ先」の曲とされる。一方、UtaTenの記事は詞が先と読める書き方をしたうえで、前奏は旋律より先にできたとも書き、記述の中で食い違っている。ウィキペディアは「題名が先」までしか述べていない。どの順序だったかは、確かめられなかった。
くらさんの考察
この曲が長く歌われる理由として、週刊現代の座談は、別れを嘆く女ではなく、男と別れて自立していく女を描いたこと、繰り返しの多い旋律が耳に残ること、さまざまな編曲に耐えること、石川の声の揺れを含む表現を挙げる。これらは座談の中の見方であり、確定した定説ではない。
そのうえで、次のように考えられる。第一に、紅白が毎年この曲を呼び戻す仕組みになっている。2007年以降の隔年の歌い分けは、聴き手に「年末にこの曲を聴く」習慣を作り、冬の歌という位置づけを強めたと考えられる。第二に、舞台の青函連絡船が1988年に終わったことで、曲は現実の旅の歌から、記憶の中の旅の歌へ変わった。実際の旅が消えても歌が残ったことは、情景を具体的に描いた詞の強さを示していると考えられる。第三に、アルバムの12月の曲がコンサートの拍手で選ばれてシングルになった経緯は、この曲が宣伝の力より先に、客席の反応で押し出されたことを示す。ただし、これは一つの座談で語られた話であり、裏付けは取れていない。
ジージへの問いかけ
・1977年の発売当時、この歌を初めて聴いたのはどこでしたか。テレビ、ラジオ、有線、スナックのどれが多かったと思いますか。
・青函連絡船や上野発の夜行列車に、実際に乗った思い出はありますか。そのとき、この歌は頭に浮かびましたか。
・同じ石川さゆりの「天城越え」と比べて、カラオケで歌いたくなるのはどちらでしょうか。その理由は何だと思いますか。
出典
・ウィキペディア「津軽海峡・冬景色」 https://ja.wikipedia.org/wiki/津軽海峡・冬景色
・現代ビジネス(週刊現代・2016年12月28日「石川さゆり『津軽海峡・冬景色』はなぜ国民的名曲となったのか?」) https://gendai.media/articles/-/50564
・UtaTen(2017年12月29日「『津軽海峡・冬景色』には、聴く人を津軽海峡に連れて行く『ある仕掛け』が隠されていた!」) https://utaten.com/specialArticle/index/2296
・ORICON NEWS(第76回NHK紅白歌合戦の曲目発表・石川さゆりの歌唱曲の履歴) https://www.oricon.co.jp/news/2425959/full/
・ニッポン旅マガジン「津軽海峡冬景色歌謡碑」 https://tabi-mag.jp/ao0146/
動画
・石川さゆり「津軽海峡・冬景色」 LIVE Ver.(40周年記念 石川さゆり音楽会)(TEICHIKU RECORDS)https://www.youtube.com/watch?v=QhGJQcN70gU
関連動画
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが音楽QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。