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No.34新着 ニューミュージック フォークでも歌謡曲でもない、自分で作って歌う人たちの名前

ニューミュージックは、1970〜80年代に自分で作って歌う人たちの音楽を指した言葉である。フォークにロックなどを加え、生活の重さや思想を薄めた歌とされる。名づけ親ははっきりせず、範囲も文献によって違う。1978年には紅白に「ニューミュージック・コーナー」ができ、1990年代にJ-POPという言葉に置き換わった。

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登録日時
2026年10月23日 21:15
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
ジャンル
立場
くらさんの考察
タグ
ニューミュージック新着フォーク新着女性と歌新着ヒットチャート新着紅白歌合戦新着カラオケ新着
歌手・曲
荒井由実(松任谷由実)、中島みゆき、オフコース、アリス、さだまさし
資料の種類
事典・概説
年代
1972〜1995年

本文と出典

あらまし

ニューミュージックは、はっきりした音の特徴より、「職業作家が作るのではなく、歌手が自分で作って歌う」という作り方で括られた音楽である。始まりは1972年の吉田拓郎「結婚しようよ」とすることが多い。フォークの流れから出てきたが、ギター一本ではなくバンドや洋楽の響きを取り入れ、社会や貧しさより、都会の恋や心の動きを歌った。
1970年代後半には荒井由実、中島みゆき、オフコース、アリス、さだまさし、松山千春らが売上の上位を占めた。1978年にはNHK紅白歌合戦に専用のコーナーができる。1987年ごろから言い換えが始まり、1993〜1995年ごろには「J-POP」に置き換わったとされる。

主なできごと

・1972年1月 吉田拓郎「結婚しようよ」。ニューミュージックの起点とされることが多い
・1972年7月5日 荒井由実が「返事はいらない」でデビュー
・1973年11月 荒井由実のアルバム『ひこうき雲』
・1975年 荒井由実「あの日にかえりたい」がオリコン1位。中島みゆきが9月にデビューし、「時代」で11月の世界歌謡祭グランプリ。フォーライフ・レコード設立
・1976年 荒井由実が松任谷正隆と結婚し、松任谷由実になる
・1977年 『現代用語の基礎知識』に「ニューミュージック」が初めて載る。中島みゆき「わかれうた」、さだまさし「雨やどり」がオリコン1位
・1978年 紅白歌合戦に「ニューミュージック・コーナー」。12月、アリス「チャンピオン」(オリコン1位)
・1979年 さだまさし「関白宣言」(150万枚以上)。12月、オフコース「さよなら」(オリコン2位)
・1981年 アリスが活動を止める(11月7日、後楽園球場で最後の公演)
・1982年6月 オフコースが日本武道館で10日間連続公演
・1989年2月26日 オフコースが東京ドーム公演で解散
・1991年 『広辞苑』第四版に「ニューミュージック」が載る

言葉の意味と線引き

ウィキペディアによると、ニューミュージックの名づけ親ははっきりしない。ミュージカル・ステーションの金子洋明とする説、キングレコードの三浦光紀が1972年ごろ使い始めたとする説、CBS・ソニーで1973年ごろ使われたとする説、評論家の富澤一誠とする説が並んでいる。辞書では、『現代用語の基礎知識』が1977年版で初めて載せ、『広辞苑』は1991年の第四版から載せた。
範囲も文献によって違う。最初はフォーク系の歌手を指していたが、のちにロックのバンドや女性のシンガーソングライターも含めて使われた。山下達郎、浜田省吾、矢沢永吉の名前が挙がることもある。ジャンルというより、テレビの歌謡曲とは別の売り場を指す呼び名だったとみることもできる。

荒井由実と中島みゆき

荒井由実は1954年に東京の八王子市で生まれ、1972年にデビューした。1973年の『ひこうき雲』、1975年にオリコン1位になった「あの日にかえりたい」で知られ、バンバンに「『いちご白書』をもう一度」(1975年)を書くなど、他の歌手にも曲を提供した。1976年に結婚して松任谷由実になってからも記録を重ね、1990年の『天国のドア』は日本の歌手で初めて200万枚を出荷したとされる。2023年には、日本のアルバムチャートで1位を取った年代の数が最も多いとしてギネス世界記録に認められた。本人は、ニューミュージックは「私がはじめた」と語っている。
中島みゆきは1952年に札幌で生まれ、1975年にデビューした。同じ年に「時代」がポピュラーソング・コンテストと世界歌謡祭でグランプリを取る。1977年「わかれうた」、1981年「悪女」、1994年「空と君のあいだに/ファイト!」、2000年発売の「地上の星」(1位は2003年)と、四つの年代でオリコン1位を取った。研ナオコ「あばよ」、桜田淳子「しあわせ芝居」、柏原芳恵「春なのに」など、アイドルや歌謡曲の歌手にも多くの曲を書いている。

オフコース、アリス、さだまさし

オフコースは1970年にデビューし、1972年から小田和正と鈴木康博の二人で活動した。1979年12月の「さよなら」はオリコン2位になり、1982年には日本武道館で10日間の連続公演を行った。鈴木が1983年に抜けたあとも続き、1989年に解散した。
アリスは1971年に谷村新司と堀内孝雄が大阪で結成し、矢沢透が加わった。1977年の「冬の稲妻」で大きく売れ、1978年の「チャンピオン」はオリコン1位になった。1981年に活動を止め、後楽園球場で最後の公演を行った。さだまさしは長崎の出身で、グレープ時代の1974年に「精霊流し」を出し、ソロでは1977年に「雨やどり」がオリコン1位、1979年の「関白宣言」は150万枚以上を売った。山口百恵に「秋桜」を書いたのもさだである。
1980年ごろ、タモリがラジオで、さだまさし・アリス・オフコース・松山千春らを「暗い」「軟弱」とからかい、この見方が広まったとウィキペディアは書く。売れていたからこそ、からかいの的にもなったと考えられる。

カラオケで歌うなら

JOYSOUNDの「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」(2025年1月1日〜11月15日、会員の歌唱記録)では、60代の上位20曲に中島みゆきの「糸」(7位)と「地上の星」(13位)、来生たかお「夢の途中」(3位)、久保田早紀「異邦人」(10位)、杏里「オリビアを聴きながら」(12位)、チューリップ「サボテンの花」(14位)が入っている。どこまでをニューミュージックに含めるかによるが、60代の上位の多くはこのあたりの歌である。50代でも「異邦人」と「オリビアを聴きながら」が上位20曲に入った。今の60代には、演歌より、自分で作って歌う人たちの歌のほうが多く歌われていると考えられる。

評価の分かれる点

ニューミュージックの名づけ親も、始まりと終わりの年も、文献によって違う。だれを含めるかもはっきりしない。ユーミンとさだまさしを同じ箱に入れることに違和感を持つ人もいる。

くらさんの考察

ニューミュージックは、音の特徴より「テレビの歌謡曲ではない」という立ち位置でまとめられた言葉だったと考えられる。ところがその歌い手たちは、アイドルや演歌歌手に曲を書き、紅白にもコーナーを持ち、結局は歌謡曲の中心に入っていった。外側にいるはずの人たちが真ん中になったとき、名前の役目が終わり、J-POPという言葉に置き換わったと考えられる。

ジージへの問いかけ

・ジージは、ユーミンと中島みゆきのどちらをよく聴きましたか。二人の違いをどう感じますか。
・タモリが「暗い」とからかったさだまさしやオフコースの歌を、ジージは暗いと思いますか。
・「ニューミュージック」という言葉を、当時ジージは使っていましたか。

出典

・ウィキペディア「ニューミュージック」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ニューミュージック
・ウィキペディア「松任谷由実」 https://ja.wikipedia.org/wiki/松任谷由実
・ウィキペディア「中島みゆき」 https://ja.wikipedia.org/wiki/中島みゆき
・ウィキペディア「オフコース」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オフコース
・ウィキペディア「アリス (フォークグループ)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/アリス_(フォークグループ)
・ウィキペディア「さだまさし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/さだまさし
・JOYSOUND「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」 https://www.joysound.com/web/s/karaoke/feature/annual_age_2025

動画

・松任谷由実 - あの日にかえりたい (Yumi Arai The Concert with old Friends)(松任谷由実)https://www.youtube.com/watch?v=2qJnqZenIFY
・時代(Miyuki Nakajima - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=aOOpDfmy7mw

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