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新しく登録した記事の 20 件

10月28日登録 / 2026年10月28日
No.215新着 カラオケの採点の歴史 社交場の採点機から精密採点・分析採点へ、点数は「音程の正確さ」から「うまく聞こえるか」に近づいた
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カラオケの点数を出す機械は、全国カラオケ事業者協会の年表では1980年に社交場で流行し、1982年にはクラリオンが採点機付きのカラオケを出している。DAM の「精密採点」は2003年、JOYSOUND の「分析採点」は2012年ごろの機種に載っていることが確かめられた。2010年代には音程だけでなく抑揚やビブラートも見るようになり、2025年の「精密採点Ai Heart」は聴いた感じのうまさを算出するとされる。採点の始まりは資料により食い違う。
カラオケ精密採点(DAM)、分析採点(JOYSOUND)、カラオケオーディション、クラリオン MW-5000A、全国採点事典・概説1980〜2025年
10月28日登録 / 2026年10月28日
No.214新着 服部良一 ジャズの腕で「別れのブルース」から「東京ブギウギ」「青い山脈」まで書いた作曲家
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1907年に大阪で生まれ、1993年に85歳で亡くなった作曲家。大阪でジャズを演奏しながら作曲を学び、1936年にコロムビアの専属となって「別れのブルース」で当たりをとった。戦後は笠置シヅ子との組で「東京ブギウギ」などを送り出し、没後に国民栄誉賞を受けた。
歌手と作り手服部良一、笠置シヅ子、淡谷のり子、別れのブルース、蘇州夜曲、東京ブギウギ、青い山脈事典・概説1907〜1993年(1936年にコロムビア専属)
10月28日登録 / 2026年10月28日
No.213新着 いい日旅立ち(山口百恵・1978年) 国鉄の旅行キャンペーンのために書かれた歌が、旅立ちの歌として残るまで
1978年11月21日発売の山口百恵の24枚目のシングル。作詞作曲は谷村新司、編曲は川口真。国鉄の旅行キャンペーン「いい日旅立ち」のために作られ、オリコン最高3位、同調べの売上は約53.6万枚、レコード会社調べでは100万枚とされる。2007年に「日本の歌百選」に選ばれた。カラオケの原曲キーなどは公式資料で確かめられなかった。
名曲を読む山口百恵、いい日旅立ち、谷村新司、川口真、酒井政利、藤岡和賀夫報道・統計1978年(11月21日発売)
10月27日登録 / 2026年10月27日
No.212 ムード歌謡 夜の店で育った大人の歌が、なぜ今もスナックで歌われるのか
ムード歌謡は、ナイトクラブやキャバレーなど夜の店で育った、大人の情緒を歌う歌謡曲の一系統である。厳密な定義はなく、起源にも複数の説がある。1960年代には男性コーラスグループが次々にヒットを出し、有線放送とホステスの後押しが追い風になったとされる。
ジャンル和田弘とマヒナスターズ、黒沢明とロス・プリモス、鶴岡雅義と東京ロマンチカ、内山田洋とクール・ファイブ、東京ナイト・クラブ、小樽のひとよ事典・概説1950年代後半〜1970年代
10月27日登録 / 2026年10月27日
No.211 都はるみ 新人賞から紅白の引退舞台、1990年の復帰まで、六つのミリオンを持つ歌手
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1963年に全国歌謡コンクールで優勝し、1964年にデビューした演歌歌手。「アンコ椿は恋の花」「好きになった人」「北の宿から」「大阪しぐれ」などで知られ、1984年の紅白で引退し、1990年に歌手として復帰した。2015年の休業以降の近況も、確かめられた範囲で記す。
歌手と作り手都はるみ、アンコ椿は恋の花、好きになった人、北の宿から、大阪しぐれ、市川昭介事典・概説1964〜2026年
10月27日登録 / 2026年10月27日
No.210 喝采(ちあきなおみ・1972年) ステージの上で訃報を聞く歌が、レコード大賞の最後の逆転をつかむまで
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1972年9月10日発売のちあきなおみの13枚目のシングル。歌い手の生き方を描く詞を吉田旺、曲を中村泰士が書き、12月31日の第14回日本レコード大賞で大賞を受けた。オリコンの最高位は2位で、同調べの売上は約80万枚。カラオケの原曲キーなどは公式の資料で確かめられなかった。
名曲を読むちあきなおみ、喝采、吉田旺、中村泰士、高田弘事典・概説1972年(9月10日発売)
10月26日登録 / 2026年10月26日
No.209 カラオケのデュエット曲 銀恋から「居酒屋」「ラブゲーム」へ、男女で歌う定番はどう生まれたか
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男女で掛け合いながら歌うデュエット曲は、1961年の「銀座の恋の物語」のあと、「昭和枯れすゝき」(1974年)、「居酒屋」(1982年)、「男と女のラブゲーム」(1986年)、「ロンリー・チャップリン」(1987年)など、酒場とカラオケで歌い継がれる曲を生んだ。全国カラオケ事業者協会は2022年に、デュエット曲が歌われにくくなっていると述べている。一方、DAMの2025年デュエット年間ランキングには、1949年の「青い山脈」も入っている。
カラオケ五木ひろし、木の実ナナ、さくらと一郎、日野美歌、武田鉄矢、芦川よしみ事典・概説1961〜2025年
10月26日登録 / 2026年10月26日
No.208 船村徹 焼け野原の友と書いた望郷の歌から、演歌の大きな流れをつくった作曲家
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船村徹は栃木県生まれの作曲家で、東洋音楽学校で知り合った作詞家・高野公男と組み、1955年の「別れの一本杉」で世に出た。「王将」「矢切の渡し」「兄弟船」など約4500〜5000曲を残し、北島三郎や鳥羽一郎を育て、2016年に文化勲章を受けた。
歌手と作り手船村徹、高野公男、別れの一本杉、王将、矢切の渡し、兄弟船事典・概説1932〜2017年、1955年「別れの一本杉」
10月26日登録 / 2026年10月26日
No.207 津軽海峡・冬景色(石川さゆり・1977年) アルバムの12月の曲が、紅白の定番になるまで
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1977年元日発売の石川さゆりの代表曲。もとは1年12か月を歌うコンセプトアルバムの12月の曲で、大阪のコンサートで拍手が最も大きかったためシングルになったと伝わる。オリコン最高6位、第19回日本レコード大賞歌唱賞を受け、紅白では2007年から2023年まで「天城越え」と交互に歌われた。
名曲を読む石川さゆり、津軽海峡・冬景色、阿久悠、三木たかし事典・概説1976〜1977年(アルバム1976年11月・シングル1977年1月1日発売)
10月25日登録 / 2026年10月25日
No.206 ご当地ソングの流れ 地名を冠した歌は、レコード会社の宣伝の言葉から、歌碑や駅の音楽まで広がった
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「ご当地ソング」という言葉は、1966年に美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」が評判になり始めたころ、発売元の宣伝担当者が使い出して広まったとされる。1960年代後半の「地名+ブルース」から、1970年代の「襟裳岬」「津軽海峡・冬景色」へと続き、歌碑や駅の音楽という形で地域とも結びついた。カラオケでの順位は、確かめられた資料がなかった。
ジャンル美川憲一、柳ヶ瀬ブルース、青江三奈、伊勢佐木町ブルース、森進一、襟裳岬、石川さゆり、津軽海峡・冬景色事典・概説1965〜1977年(ほか前後の動き)
10月25日登録 / 2026年10月25日
No.205 井上陽水 「氷の世界」で日本初のLP百万枚とされ、歌い手としても作り手としても残った人
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井上陽水は1969年にアンドレ・カンドレ名義でデビューし、1972年に井上陽水として出直した。1973年12月のアルバム「氷の世界」は、日本のレコード史上初めてLPで百万枚を超えたとされる。のちに安全地帯や中森明菜へ詞や曲を提供し、歌い手と作り手の両方で歌謡曲の流れに入った。
歌手と作り手井上陽水、氷の世界、傘がない、夢の中へ、少年時代、飾りじゃないのよ涙は、ワインレッドの心事典・概説1969〜2026年
10月25日登録 / 2026年10月25日
No.204 北国の春(千昌夫・1977年) 長野と新潟の景色から生まれた望郷の歌は、海を渡って中国語で歌われた
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1977年4月に千昌夫が出した望郷の演歌。作詞のいではくは故郷の長野、作曲の遠藤実は新潟の風景を思い浮かべたとされる。発売の翌々年にオリコン最高6位に達し、紅白歌合戦で同じ曲を3年続けて歌った。台湾・香港・中国でも中国語の詞で歌われ、1988年には中国の人民日報の企画で外国歌曲の1位になった。
名曲を読む千昌夫、北国の春、いではく、遠藤実、テレサ・テン事典・概説1977〜1979年(1977年4月5日発売)
10月24日登録 / 2026年10月24日
No.203 NHKのど自慢 焼け跡のラジオで始まった素人の歌の舞台は、鐘と全国巡業を守りながら伴奏をカラオケに替えた
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のど自慢は1946年1月19日、NHKラジオの「のど自慢素人音楽会」として始まり、1953年にテレビ放送が始まった。1970年4月に「NHKのど自慢」と改め、全国を回る公開生放送の形になった。2023年4月から伴奏が生バンドからカラオケ音源に替わり、司会は2026年4月から高瀬耕造・塚原愛の両アナウンサーが務めている。
賞と番組NHK、美空ひばり、田中星児、ジェロ、徳永ゆうき事典・概説1946〜2026年
10月24日登録 / 2026年10月24日
No.202 古賀政男 マンドリン倶楽部の学生が、ギターの響きで昭和の流行歌の型を作った
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古賀政男は1904年に福岡県で生まれ、朝鮮で少年時代を送り、明治大学マンドリン倶楽部で作曲を始めた。1931年の「酒は涙か溜息か」から1966年の美空ひばり「悲しい酒」まで、約40年にわたって流行歌を書き、その旋律は「古賀メロディー」と呼ばれた。日本作曲家協会の初代会長を務め、没後、音楽家として初めて国民栄誉賞を受けた。
歌手と作り手古賀政男、藤山一郎、美空ひばり、酒は涙か溜息か、湯の町エレジー、悲しい酒事典・概説1904〜1978年
10月24日登録 / 2026年10月24日
No.201 上を向いて歩こう 六八九の三人が作り、「SUKIYAKI」の名で世界を回った歌
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「上を向いて歩こう」は、作曲家・中村八大のリサイタルのために作られ、NHK『夢であいましょう』の「今月のうた」として広まった。国内ではロカビリー風の歌い回しが歌謡界に好まれず、レコード大賞にも選ばれなかったが、1963年に「SUKIYAKI」の題で米ビルボードHot 100の1位になった。のちに震災後の歌のリレーや映画にもなり、作られた時の思いと、今の歌われ方のあいだには幅がある。
名曲を読む坂本九、永六輔、中村八大、上を向いて歩こう、夢であいましょう、テイスト・オブ・ハニー事典・概説1961年発売
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.88 ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ・1968年) 川崎の工場の灯が、横浜の歌になった
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1968年12月25日に日本コロムビアから出た、いしだあゆみの26作目のシングル。作詞の橋本淳は、横浜の海から見た川崎方面の工場の灯にカンヌの夜景を重ねたとされ、題も初めは「ブルー・ライト・カワサキ」だった。オリコン週間1位を9週続け、作曲の筒美京平にとっても初の1位・初のミリオンセラーになった。2025年のDAM「演歌・歌謡」年間ランキングでも13位に入っている。
名曲を読むいしだあゆみ、ブルー・ライト・ヨコハマ、橋本淳、筒美京平事典・概説1968年発売(オリコン1位は1969年)
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.7 2000年以降の歌 配信で聞き、カラオケの定番は固まり、昭和の歌は海を渡った
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2000年以降、歌はCDで買うものから、配信やサブスク、YouTubeで聞くものに変わった。日本レコード協会の推計では2025年の売上の43%が配信である。カラオケでは20年以上前の曲が上位に残り続け、演歌の1位は1977年の「津軽海峡・冬景色」から動かない。海外ではネットを通じて昭和のシティポップが見つかり、2025年の紅白歌合戦では松田聖子が最後に歌った。
2000年以降SMAP、竹内まりや、松原みき、Mrs. GREEN APPLE、石川さゆり、Creepy Nuts報道・統計2000〜2026年
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.6 1990年代の歌 ドラマ主題歌と小室サウンドがミリオンを量産し、通信カラオケが歌を広げた
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1990年代は、CDシングルが100万枚売れることが珍しくなかった時代である。ドラマ主題歌が200万枚を超え、テレビにあまり出ないビーイング系、プロデューサー小室哲哉の「小室ファミリー」がヒットを続けた。日本のレコード・CDの生産金額は1998年に頂点に達する。同じころ通信カラオケとカラオケボックスが広がり、カラオケ参加人口は1995年度に最多になった。
1990年代小田和正、CHAGE and ASKA、B'z、ZARD、小室哲哉、安室奈美恵事典・概説1990〜1999年
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.5 1980年代の歌 聖子と明菜、ザ・ベストテン、そしてCDとカラオケボックス
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1980年代は、松田聖子と中森明菜を頂点とするアイドル歌謡の時代で、TBS『ザ・ベストテン』が毎週の順位をテレビで見せた。山下達郎や大滝詠一らの都会的な音楽(のちにシティポップと呼ばれる)が売れ、演歌は「北酒場」のような明るい曲やテレサ・テンの歌で幅を広げた。1982年にCDが登場し、レーザーディスクのカラオケとカラオケボックスで、歌う場所が酒場の外へ広がった。
1980年代松田聖子、中森明菜、松本隆、テレサ・テン、細川たかし、セーラー服と機関銃事典・概説1980〜1989年
10月23日登録 / 2026年10月23日
No.4 1970年代の歌 フォークが大衆の歌になり、阿久悠と筒美京平が歌謡曲を磨いた
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1970年代は、若者の弾き語りだったフォークがヒットチャートに入り、やがてニューミュージックへ変わっていった時代である。同時に、作詞家・阿久悠と作曲家・筒美京平が職業作家として歌謡曲の黄金期を支え、オーディション番組『スター誕生!』から山口百恵やピンク・レディーが出た。演歌も「北の宿から」「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを生み、スナックではカラオケが広がり始めた。
1970年代吉田拓郎、南こうせつとかぐや姫、阿久悠、筒美京平、山口百恵、ピンク・レディー事典・概説1970〜1979年