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No.203新着 NHKのど自慢 焼け跡のラジオで始まった素人の歌の舞台は、鐘と全国巡業を守りながら伴奏をカラオケに替えた

のど自慢は1946年1月19日、NHKラジオの「のど自慢素人音楽会」として始まり、1953年にテレビ放送が始まった。1970年4月に「NHKのど自慢」と改め、全国を回る公開生放送の形になった。2023年4月から伴奏が生バンドからカラオケ音源に替わり、司会は2026年4月から高瀬耕造・塚原愛の両アナウンサーが務めている。

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登録日時
2026年10月24日 20:32
出典を確かめた日
2026年10月24日
分野
賞と番組
立場
くらさんの考察
タグ
カラオケ新着歌謡曲新着演歌新着数字・統計新着
歌手・曲
NHK、美空ひばり、田中星児、ジェロ、徳永ゆうき
資料の種類
事典・概説
年代
1946〜2026年

本文と出典

あらまし

NHKのど自慢は、一般の人が舞台で歌い、鐘の音で合否が告げられる視聴者参加の歌番組である。敗戦の翌年、1946年1月19日にラジオの「のど自慢素人音楽会」として始まった。企画したのは NHK 音楽部のプロデューサー三枝嘉雄で、紅白歌合戦(id 62)の企画にも関わった人物とされる。
番組は80年近く続き、現在も原則として毎週、各地の会場から生放送している。名前と形は何度か変わったが、素人が歌い、鐘が鳴り、その週のチャンピオンが決まるという骨組みは変わっていない。

主なできごと

・1946年 1月19日、ラジオで「のど自慢素人音楽会」を開始。東京・内幸町の NHK東京放送会館から公開放送
・1947年 「のど自慢素人演芸会」と改称(1970年3月まで)
・1948年 3月21日、全国コンクール優勝大会の第1回
・1953年 3月15日、テレビ放送を開始
・1970年 4月、「NHKのど自慢」と改称。全国各地を回る公開生放送に
・1995年度 年に一度の大会が「NHKのど自慢チャンピオン大会」の名前になる
・2013年 4月、小田切千アナウンサーが司会に(2023年3月まで)
・2023年 4月2日の放送から、予選・本選ともに伴奏がカラオケ音源に。司会は廣瀬智美・二宮直輝の両アナウンサーが隔週で担当し、廣瀬は番組初の女性司会者とされる
・2026年 4月から、司会は高瀬耕造・塚原愛の両アナウンサー

始まりのいきさつ

第1回の出場者をラジオのニュースで募ったところ、希望者は900人を超えた。担当者は1日300人ずつ歌を聞いて、放送に出る人を選んだという。娯楽の乏しい焼け跡の時代に、ラジオから流れてくるのが歌手ではなく近所の誰かの声だったことが、この番組の新しさだった。1948年3月までの司会は、太田一朗、高橋圭三、宮田輝ら数人が交代で務めた。

鐘の仕組み

歌の合否は、鐘(チューブラーベル)の音で知らされる。不合格なら1音か2音、合格なら11音が鳴り、司会者はこれを「鐘3つ」と呼ぶ。審査員は別の部屋で画面を見ながら聞いており、判定は鐘を打つ人に伝えられる。2023年度からは鐘を打つ人を固定せず、各地のオーケストラの奏者が受け持つようになった。鐘の数だけで結果が伝わるので、ラジオで聞いている人にも合否がすぐ分かる。

全国を回る公開収録と予選

1970年からは毎週ちがう町の会場から放送する形になった。応募は書類審査から始まり、通った約200組が放送前日の土曜日に同じ会場で予選会に臨む。そこから本選の約20組が選ばれる(コロナ禍の後は18〜19組の回もあった)。生バンドの時代、予選の持ち時間は1組1分で、伴奏のバンドは九州・沖縄、四国、東北、北海道など全国のブロックごとに組まれていた。地元の楽団が地元の出場者の伴奏をする仕組みだった。

チャンピオン大会

各回のチャンピオンの中から10〜15組ほどが選ばれ、翌年の2月末から3月初めに原則として東京・渋谷の NHKホールで大会が開かれる。2002年度からはビデオ審査で出場者を選んでいる。いちばん上のグランドチャンピオンには金のトロフィーが贈られる。2024年2月24日の大会は、前年度の45組のチャンピオンから13組が出場した。

のど自慢から歌手になった人

美空ひばりは1946年、8〜9歳のときにのど自慢の予選で「リンゴの唄」を歌ったが、合格しなかった。審査員は「うまいが子供らしくない」と判断したと伝えられる。田中星児は1968年の全国大会のポピュラーの部で優勝し、1970年に NHK『ステージ101』で歌手として世に出た。アメリカ出身のジェロは来日2か月後にのど自慢に出て合格し、2008年に「海雪」で演歌歌手としてデビューした。徳永ゆうきは2011年7月24日の大阪府熊取町大会でチャンピオンになり、翌2012年の大会で「はぐれ舟」を歌ってグランドチャンピオンとなり、2013年に「さよならは涙に」でデビューした。

伴奏がカラオケになった理由

2023年4月の変更は、朝日・毎日・産経の各紙が批判の声として報じ、ネット上でも惜しむ声が出た。チーフプロデューサーの中村雅郎はデイリー新潮の取材に、理由をいくつか挙げている。2020年3月からコロナ禍で放送の中止が続き、出場者・バンド・ゲストの間を空ける必要が生じて、同じステージに並ぶのはスペースの面で無理になったこと。若い応募者が選ぶ打ち込み(機械による自動演奏)の曲は手で弾いて再現できないものが増え、編曲すると原曲と別物になって審査の公平さに疑問が出ること。そして、各地で伴奏のできる演奏家が減り、東京や大阪から奏者を送ってしのいできたことである。NHK のメディア総局長は会見で「この仕様は当面続きます」と述べた。

評価の分かれる点

美空ひばりの出場については、記事によって「鐘が鳴らなかった」「鐘1つだった」と書き方が分かれ、正確な放送回や結果ははっきりしない。カラオケ伴奏への変更も、生演奏の味を失ったと見る人と、どんな曲でも原曲どおりに歌えるようになったと見る人とで評価が分かれる。

くらさんの考察

のど自慢は、カラオケより先に「素人が人前で伴奏つきで歌う」場を全国に用意した番組だったと考えられる。1970年代にスナックでカラオケ機が広まり(id 51)、のちに個室のカラオケボックスが広まると(id 52)、人前で歌う機会は番組の外にいくらでもできた。その流れの末に、番組の伴奏そのものがカラオケになったことは、のど自慢とカラオケの関係が逆転したことを示していると考えられる。
一方で、鐘の合否と町ごとの公開放送は80年近く変わっていない。歌手になる近道としての役目は、オーディション番組やネット配信に分かれていったが、「地元の会場で、知り合いが見ている前で歌う」という場は、ほかの番組ではまねしにくい。番組が続いている理由は、歌のうまさを競うことより、その町の人が誰でも舞台に上がれることにあると考えられる。

ジージへの問いかけ

・ジージの住む町の近くにのど自慢が来たとき、会場に行ったり、知り合いが出たりしたことはありますか。
・鐘が1つで終わる人と3つ鳴る人、見ていて楽しいのはどちらだと思いますか。
・生バンドからカラオケ伴奏に替わって、番組の印象は変わったと思いますか。

出典

・ウィキペディア「NHKのど自慢」 https://ja.wikipedia.org/wiki/NHKのど自慢
・ウィキペディア「美空ひばり」 https://ja.wikipedia.org/wiki/美空ひばり
・ウィキペディア「田中星児」 https://ja.wikipedia.org/wiki/田中星児
・ウィキペディア「ジェロ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェロ
・ウィキペディア「徳永ゆうき」 https://ja.wikipedia.org/wiki/徳永ゆうき
・デイリー新潮「NHK『のど自慢』はなぜ生バンドからカラオケになったのか チーフプロデューサーが苦渋の決断を語る」(2023年5月) https://www.dailyshincho.jp/article/2023/05121103/?all=1
・デイリー新潮「NHK『のど自慢』は伴奏をカラオケにして1年…担当プロデュ―サーが明かす“予想外のメリット”」(2024年3月) https://www.dailyshincho.jp/article/2024/03180601/
・ザテレビジョン 番組表「NHKのど自慢」2026年6月7日放送回 https://thetv.jp/program/0000846786/509/

この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが音楽QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。