No.208新着 船村徹 焼け野原の友と書いた望郷の歌から、演歌の大きな流れをつくった作曲家
船村徹は栃木県生まれの作曲家で、東洋音楽学校で知り合った作詞家・高野公男と組み、1955年の「別れの一本杉」で世に出た。「王将」「矢切の渡し」「兄弟船」など約4500〜5000曲を残し、北島三郎や鳥羽一郎を育て、2016年に文化勲章を受けた。
本文と出典
あらまし
船村徹(本名・福田博郎)は1932年6月12日、栃木県塩谷郡船生村(現・塩谷町)に生まれた。父は獣医だった。1949年に東洋音楽学校(現・東京音楽大学)へ入り、ピアノ科で学んでいる。同じ学校の声楽科にいた茨城県出身の作詞家、高野公男と知り合い、二人で歌をつくりはじめた。
二人の最初の大きな成果が、1955年に春日八郎が歌った「別れの一本杉」である。その後、船村は村田英雄の「王将」、細川たかしの「矢切の渡し」、鳥羽一郎の「兄弟船」など、歌い手も作詞家も変えながらヒットを出し続けた。作品数は資料によって幅があり、コロムビアの公式プロフィールは約4500曲、日本経済新聞の訃報は約5000曲としている。2017年2月16日、心不全のため84歳で亡くなった。
主なできごと
・1932年 栃木県に生まれる
・1949年 東洋音楽学校に入学。高野公男と知り合う
・1955年 春日八郎「別れの一本杉」(作詞・高野公男)
・1956年 コロムビアレコードの専属になり、高野とともに移籍。同年9月8日、高野が結核で26歳で死去
・1961年 村田英雄「王将」。戦後初のミリオンセラーとされる
・1976年 ちあきなおみ「矢切の渡し」(「酒場川」のB面)
・1978年 コロムビアを退社しフリーに。ギター1本で各地をまわる「演歌巡礼」を始める
・1980年 北島三郎「風雪ながれ旅」(作詞・星野哲郎)
・1982年 鳥羽一郎のデビュー曲「兄弟船」(作詞・星野哲郎)
・1983年 細川たかし「矢切の渡し」が日本レコード大賞
・1991年 北島三郎「北の大地」が日本レコード大賞
・1995年 紫綬褒章
・2008年 文化功労者
・2016年 文化勲章
・2017年 死去
高野公男との出会いと「別れの一本杉」
コロムビアの公式プロフィールによると、栃木から出てきた船村は食うにも困り、高野の弁当のにぎりめしを食べたことから親しくなった。高野は「焼け野原で働く大衆のための歌をつくれ」と船村に言い、船村はそこから演歌を志したという。二人はキャバレーのボーイなどで暮らしをつないだが、ヒットは出なかった。
転機は、売り込みに通ったキングレコードである。春日八郎を担当していたスタッフの目に留まり、「別れの一本杉」が1955年に発売された。ウィキペディアによれば、ビゼーの歌劇『カルメン』のハバネラのリズムを手がかりにしたとされる。故郷を離れた恋人を都会から思う内容は、農村から都市へ人が移っていた時代と重なり、望郷演歌の先駆けと評される。売上は、ウィキペディアが50万枚、ほかの記事が60万枚とし、数え方で食い違う。発売月も、資料によって11月とも12月とも書かれていて、ここでは1955年とだけ記す。
高野は翌1956年9月8日、国立水戸病院で亡くなった。26歳だった。亡くなった年に、二人の姿を題材にした映画が松竹から公開されている。船村は高野の没後60年にあたる2016年9月に、水戸市での演奏会にも出演した。
「王将」から「兄弟船」まで
船村の作品は、歌い手ごとに肌合いが違う。1961年の「王将」は西條八十の作詞で、村田英雄が歌い、戦後初のミリオンセラーとされた。公式プロフィールは、船村が西條八十から、なかにし礼、吉岡治、阿久悠まで幅広い作詞家と組んだと伝える。
「矢切の渡し」(作詞・石本美由起)は、1976年にちあきなおみがB面曲として出し、1982年にA面として再発売された。1983年2月に細川たかしが歌って、オリコン週間1位が3週続き、年間2位となり、第25回日本レコード大賞を受けた。船村自身はこの二つの盤を、ちあき版は手漕ぎの舟、細川版はモーター付きの船にたとえ、細川版は誰でもカラオケで歌えそうな印象になったと語ったという(ウィキペディアによる)。
「兄弟船」は1982年8月、鳥羽一郎のデビュー曲として出た。作詞は星野哲郎で、オリコンの最高位は34位。全日本有線放送大賞の新人賞を受け、鳥羽は1985年の紅白歌合戦に初出場している。鳥羽はその後も紅白に通算7回出ている。
弟子と演歌巡礼
船村は歌い手を育てる人でもあった。北島三郎は船村に名を付けてもらった弟子で、鳥羽一郎も弟子に数えられる。ウィキペディアは、住み込みの内弟子として鳥羽、香田晋、静太郎らの名を挙げている。1978年にコロムビアを退社した後は、ギター1本で全国を回り、刑務所への慰問も続けた。法務大臣から感謝状を受けたと公式プロフィールにある。
カラオケで歌うなら
カラオケでの順位は、今回の調べでは確かめられなかった。JOYSOUNDやDAMの2025年の年間ランキングの記事を調べたが、船村作品の順位は確認できなかった。船村自身の「誰でも歌えそうな」という言葉が、歌いやすさの一つの手がかりになる。
評価の分かれる点
作品数は4500曲とも5000曲とも書かれ、一つに決められない。「別れの一本杉」の売上も50万枚と60万枚の二つの数字がある。売上の数え方が違うためと考えられる。
くらさんの考察
船村の曲が長く歌われる理由は、一つに絞れない。ただ、確かめられた事実からは、二つの筋が見える。
一つは、土地や仕事の暮らしを歌にしたことだ。「別れの一本杉」は農村から都会へ出た人の気持ちを、「兄弟船」は漁に出る男たちを題材にしている。聞く人が自分の暮らしに重ねやすい題材だったと考えられる。
もう一つは、同じ作曲家が歌い手を変えて曲を書き続けたことだ。春日八郎、村田英雄、北島三郎、細川たかし、鳥羽一郎と、時代ごとに別の歌い手が船村の曲で世に出た。歌手を育てる仕事と作曲が、一人の中でつながっていたと考えられる。船村は2008年の文化功労者選出のとき、演歌を「日本人の血液」と語っている(日本経済新聞)。
ジージへの問いかけ
・船村徹の曲で、ジージがいちばん思い出のある一曲は何でしょうか。
・「別れの一本杉」のように、田舎から都会へ出る気持ちを歌った曲を、若いころに聞いた覚えはありますか。
・「矢切の渡し」は、ちあきなおみ版と細川たかし版で、聞いた印象が違うと思いますか。
出典
・船村徹(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/船村徹
・高野公男(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/高野公男
・別れの一本杉(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/別れの一本杉
・矢切の渡し(曲)(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/矢切の渡し_(曲)
・兄弟船(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/兄弟船
・船村徹 プロフィール(日本コロムビア公式) https://columbia.jp/artist-info/funamura/prof.html
・作曲家の船村徹氏が死去(日本経済新聞) https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H39_X10C17A2000000/
・作曲家・船村徹氏が死去 84歳(デイリースポーツ) https://www.daily.co.jp/gossip/2017/02/17/0009922871.shtml
・作曲家の船村徹さん死去 恩師の死に北島三郎「悔しい」(デイリースポーツ) https://www.daily.co.jp/gossip/2017/02/18/0009925155.shtml
・春日八郎「別れの一本杉」にまつわる物語(昭和のレコード) https://www.conex-eco.co.jp/showa-record/103664/
動画
・別れの一本杉(船村徹)(Toru Funamura - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=2_XWRPCgZEU
関連動画
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