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No.91新着 美空ひばり 子どもの歌手から「女王」へ、40年歌い続けた戦後の歌の中心

美空ひばりは1949年に12歳で本格デビューし、「悲しき口笛」「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」と時代ごとに大ヒットを出した。1989年に52歳で亡くなり、女性で初めての国民栄誉賞を受けた。日本コロムビアの発表では総売上は約1億1700万枚にのぼり、2025年もカラオケDAMの歌手別で15位に入っている。

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登録日時
2026年10月23日 21:15
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
歌手と作り手
立場
くらさんの考察
タグ
歌謡曲新着演歌新着紅白歌合戦新着レコード大賞新着カラオケ新着数字・統計新着女性と歌新着
歌手・曲
美空ひばり、悲しき口笛、リンゴ追分、柔、悲しい酒、川の流れのように
資料の種類
事典・概説
年代
1937〜1989年

本文と出典

あらまし

美空ひばり(本名・加藤和枝)は1937年5月29日、横浜市磯子区に生まれた。戦後すぐの1946年にNHK『素人のど自慢』に出たが合格にはならず、地方巡業の前座などで場数を踏んだ。1948年に川田晴久の目に留まって横浜国際劇場に出演し、このころ「美空ひばり」の名が付いた。1949年、日本コロムビアからレコードを出し、同じ年の「悲しき口笛」が大ヒットする。
それから約40年、ひばりは子どもの歌手、映画スター、歌謡曲と演歌の第一人者と姿を変えながら第一線にいた。1987年に病で倒れたあと、翌年の東京ドーム公演で復帰し、1989年6月24日に52歳で亡くなった。同年7月2日、女性として初めて国民栄誉賞を受けた。

主なできごと

・1937年 横浜市磯子区に生まれる
・1946年 NHK『素人のど自慢』に出場(合格せず)
・1949年 「河童ブギウギ」でレコードデビュー。同年「悲しき口笛」が大ヒット
・1950年 「東京キッド」
・1952年 「リンゴ追分」
・1954年 第5回NHK紅白歌合戦に初出場
・1960年 「哀愁波止場」で第2回日本レコード大賞の歌唱賞
・1964年 「柔」。翌1965年に第7回日本レコード大賞を受ける
・1966年 「悲しい酒」
・1967年 「真赤な太陽」
・1970年 第21回紅白で紅組司会と大トリを兼ねる
・1973年 紅白を辞退。それまでの出場は17回
・1986年 「愛燦燦」
・1987年 4月に福岡市の病院へ緊急入院、8月に退院
・1988年 4月11日、東京ドームのこけら落とし公演(いわゆる「不死鳥」公演)
・1989年 1月に「川の流れのように」発売。6月24日死去。7月2日に国民栄誉賞

子どもの歌手から大人の歌手へ

ひばりの最初の人気は、大人の歌を大人びた声で歌う少女という意外さにあった。「悲しき口笛」「東京キッド」はどちらも映画と結びついた歌で、歌と映画の両方で稼ぐ戦後の芸能の形にひばりはぴったり合っていた。「リンゴ追分」では民謡風の節回しを聞かせ、子どもの歌手という枠を早くから越えている。
1960年代には「柔」と「悲しい酒」が出る。ウィキペディアに載る2019年3月の集計では「柔」が195万枚、「悲しい酒」が155万枚とされる。紅白歌合戦では1963年から10年続けて紅組のトリを務めた。一方で「真赤な太陽」のようにグループ・サウンズ調の曲も歌い、演歌だけの人ではなかった。

病と最後のシングル

1987年の入院のとき、公表された病名は慢性肝炎と両側特発性大腿骨頭壊死症だった。ウィキペディアは、実際は肝硬変だったがマスコミには伏せられたと書いている。1988年4月11日の東京ドーム公演では、体調が非常に悪いなかで39曲を歌ったとされる。
「川の流れのように」(作詞・秋元康、作曲・見岳章)は、もとは1988年12月のアルバムの表題曲だった。スタッフは別の曲をシングルにする考えだったが、ひばり本人の強い希望でこの曲に決まった。生前最後のシングルとなり、亡くなった後に売上が伸びた。数え方は分かれ、オリコンの集計では41.8万枚、2019年時点では205万枚とされる。1997年のNHKの「20世紀の日本人を感動させた歌」の投票では1位だった。

数字で見るひばり

日本コロムビアは2019年5月29日、2019年5月1日時点の累計出荷が約1億1700万枚と発表した(インターネット配信は含まない)。これはレコード会社が出した出荷の数字で、オリコンの売上集計とは別物である。

カラオケで歌うなら

JOYSOUND公式サイトのひばりの曲一覧(人気順)では、1位「川の流れのように」、2位「愛燦燦」、3位「みだれ髪」で、「港町十三番地」「真赤な太陽」「柔」が続く。カラオケDAMの2025年年間ランキング(2025年1月1日〜12月31日)では、歌手別で15位(前年16位)に入り、演歌の歌手でこの20位以内に入ったのはひばりだけだった。ただし楽曲別の上位50曲にひばりの曲はない。いろいろな曲が少しずつ歌われていると考えられる。また「川の流れのように」は、JASRACの2025年度の分配実績で銀賞(第2位)を受けた。発売から36年目で初めての受賞である。

評価の分かれる点

呼び名は辞典によって違う。コトバンクに載る辞典のうち、ブリタニカや『20世紀日本人名事典』『日本人名大辞典』は「歌謡界の女王」、マイペディアは「演歌の女王」、世界大百科事典は両方を挙げている。ひばりを演歌の人と見るか、ジャンルをまたぐ歌謡曲の人と見るかで呼び方が変わる。売上も、日本コロムビアの出荷の数字(約1億1700万枚)とオリコンの集計では大きく違い、「川の流れのように」のように同じ曲で41.8万枚から205万枚まで幅がある。

くらさんの考察

ひばりが「女王」と呼ばれる理由は、ヒットの多さだけではないと考えられる。戦後すぐの少女の歌から高度成長期の演歌、そして昭和の終わりの「川の流れのように」まで、一人の歌手の歩みが昭和後半の歌の歴史とそのまま重なっている。亡くなった年が昭和の終わった年と同じだったことも、ひばりを「昭和そのもの」と見る見方を強めたと考えられる。カラオケでは特定の1曲より、歌手全体として広く歌われている点に、その幅の広さが表れている。

ジージへの問いかけ

・ジージが最初に覚えているひばりの歌は、子どものころの「悲しき口笛」や「リンゴ追分」でしょうか、それとも「柔」「悲しい酒」でしょうか。
・ひばりを「演歌の女王」と呼ぶのと「歌謡界の女王」と呼ぶのと、ジージの感覚に近いのはどちらですか。
・「川の流れのように」がこれほど歌われるのは、歌そのものの力と、最後の歌という物語と、どちらが大きいと思いますか。

出典

・ウィキペディア「美空ひばり」 https://ja.wikipedia.org/wiki/美空ひばり
・コトバンク「美空ひばり」 https://kotobank.jp/word/美空ひばり
・ウィキペディア「川の流れのように」 https://ja.wikipedia.org/wiki/川の流れのように
・JOYSOUND 美空ひばり 曲一覧 https://www.joysound.com/web/search/artist/6677
・第一興商 通信カラオケDAM 2025年年間ランキング https://www.dkkaraoke.co.jp/ranking/20260127_f.html
・オリコン プレスリリース(川の流れのように JASRAC賞銀賞) https://www.oricon.co.jp/pressrelease/2823427/
・第一興商 DAM 2025年年間カラオケランキング発表(ニュースリリース) https://digitalpr.jp/r/123165

動画

・美空ひばり / みだれ髪(「不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME ~翔ぶ!! 新しき空に向って~」より) [ライブ映像](美空ひばり 公式YouTubeチャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=4Z4ZsSC_-nY
・柔 (ライヴ)(Hibari Misora - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=PjaVkjS0PeY

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