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No.35新着 グループサウンズ ビートルズ来日のあと、エレキを鳴らす若者の集団が100組を超えた

グループサウンズ(GS)は、エレキギターを弾きながら歌う若者のグループが1967〜1969年に大流行したものである。1966年のビートルズ来日のあとデビューが相次ぎ、1968年夏には100組を超えた。ブルー・コメッツは1967年にレコード大賞を取ったが、長髪や失神騒ぎで大人の反発も強く、1970年ごろにブームは終わった。

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登録日時
2026年10月23日 21:15
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
ジャンル
立場
くらさんの考察
タグ
グループサウンズ新着ロック・バンド新着海外とのつながり新着レコード大賞新着紅白歌合戦新着
歌手・曲
ザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ブルー・シャトウ、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ
資料の種類
事典・概説
年代
1965〜1971年

本文と出典

あらまし

グループサウンズは、日本で初めて「若者が自分たちで楽器を鳴らし、歌うグループ」が大量に売れた現象である。ザ・スパイダースが1965年に最初のレコードを出し、1966年のビートルズの日本公演のあと、電気楽器を弾いて歌うグループが次々にデビューした。若者向けの芸能誌『週刊明星』が「グループ・サウンズ」と呼び、この言葉が広まったとみられている。
実際の曲の多くはレコード会社の職業作家が書いた歌謡曲だった。ブームは1967〜1969年がピークで、1970年ごろに終わり、1971年にはほとんどのグループが解散した。5年ほどのブームだったが、沢田研二や萩原健一、堺正章、井上順らがここから出て、その後のテレビや映画で長く活躍した。

主なできごと

・1961年 田辺昭知がザ・スパイダースを結成。1963年にかまやつひろしが正式メンバーになる
・1965年5月 ザ・スパイダース「フリフリ」。最初のGSのレコードとされる
・1966年3月 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「青い瞳」
・1966年6月30日〜7月2日 ビートルズが日本武道館で5回公演
・1966年9月 ザ・スパイダース「夕陽が泣いている」(公称120万枚超)
・1967年2月 ザ・タイガースが「僕のマリー」でデビュー
・1967年3月15日 ブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」。第9回日本レコード大賞
・1967年10月 ザ・テンプターズが「忘れ得ぬ君」でデビュー
・1967年11月 ザ・タイガースの奈良の野外公演でファンが転倒し、けが人が出る。NHKが長髪のGSの出演を断るようになる
・1968年3月 ザ・タイガース「花の首飾り」がオリコン7週連続1位
・1968年6月 ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」がオリコン1位
・1968年夏 ブームの頂点。100組を超えるグループがレコードを出す
・1969年春 タイガース、オックスなどから主要メンバーが相次いで抜ける
・1970年 ザ・スパイダース解散。ザ・テンプターズ解散(12月27日)
・1971年1月24日 ザ・タイガースが日本武道館の公演で事実上解散

ビートルズ来日とブームの始まり

ウィキペディアのグループ・サウンズの記事は、1966年6月30日のビートルズ日本公演以降、電気楽器を演奏しながら歌うグループが次々とデビューしたと書く。ビートルズは日本武道館で3日間に5回、1回11曲・約35分の公演を行った。それ以前から、スパイダースやブルー・コメッツのようにエレキを弾くバンドはあったが、来日が若者に「自分たちもやれる」と思わせたと考えられる。
ザ・スパイダースは1961年に田辺昭知が結成し、堺正章・井上順・かまやつひろしらがいた。1966年の「夕陽が泣いている」は公称120万枚を超えた。ブルー・コメッツは1967年の「ブルー・シャトウ」(作詞・橋本淳、作曲・井上忠夫)で第9回日本レコード大賞を取り、1968年時点で150万枚を売ったとされる。同じ年の紅白歌合戦にも出ている。

タイガースとテンプターズ

ザ・タイガースは京都で結成され、1966年に沢田研二が加わってファニーズと名乗り、1967年に「僕のマリー」でデビューした。「シーサイド・バウンド」は40万枚を超え、1968年の「花の首飾り」はオリコン7週連続1位になった。売上は公称130万枚、オリコン調べでは67.6万枚とされ、数え方で大きく違う。
ザ・テンプターズは埼玉県大宮市のバンドで、萩原健一が歌い、リーダーの松崎由治が曲を書いた。1968年の「神様お願い!」はオリコン2位、「エメラルドの伝説」は1位になった。1970年に解散したあと、萩原と沢田研二は1971年にロックバンドPYGを組んでいる。

大人の反発と、ブームの終わり

1967年11月、ザ・タイガースの奈良の野外公演でファンが倒れてけが人が出た。NHKは歌番組からタイガースの出演部分を切り、以後、長髪のGSの出演を断った。短い髪だったブルー・コメッツは例外だった。1968年にはオックスの「失神」する演出で、実際に気を失う少女が続き、PTAや学校関係者の反感を買う。事故を避けるために、GSに会場を貸さない劇場や自治体も出てきた。
1968年夏の頂点のあと、1969年春には主要メンバーの脱退が相次ぐ。ブルー・コメッツはムード歌謡の曲も録音した。1970年ごろにブームは終わり、1971年にはほとんどのグループが解散するか自然に消えた。のちに1981年の日劇の取り壊し前の公演で往年のGSが再び集まり、タイガースも1982年に全国ツアーを行っている。

カラオケで歌うなら

JOYSOUNDの「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」(2025年1月1日〜11月15日)では、60代の上位20曲にもGSの曲は入っていなかった。GSを10代で聴いた世代は今70代で、この集計の年代の区切りには入っていない。ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」は2002年に島谷ひとみが歌い直してヒットしており、若い世代にはこちらで知られている歌もある。それ以上のことは、確かめられた範囲では書けない。

評価の分かれる点

「グループ・サウンズ」という呼び名の起こりには、寺内タケシが言い出したという説を含め複数の説がある。また、職業作家の歌謡曲を歌っていたGSを日本のロックの始まりと見るか、歌謡曲の一種と見るかも意見が分かれる。1980年代半ばからは黒沢進や近田春夫が再評価を進めた。

くらさんの考察

GSは、若者が楽器を持って集団で歌う姿そのものが新しかった。中身の歌は大人の作家が書いた歌謡曲でも、見た目と音が若者のものだったから、大人の側は髪の長さや失神騒ぎに過敏になったと考えられる。ブームは短かったが、沢田研二や萩原健一のように、GSから出た人たちが1970年代以降のテレビと映画の顔になった。GSの本当の遺産は曲よりも人だったと考えられる。

ジージへの問いかけ

・1967〜1968年ごろ、ジージは13〜14歳でした。GSの人気を身近に感じていましたか。
・NHKが長髪を理由にGSを出さなかったことを、当時どう思いましたか。
・タイガースとテンプターズ、ジージはどちらが好きでしたか。

出典

・ウィキペディア「グループ・サウンズ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/グループ・サウンズ
・ウィキペディア「ビートルズ日本公演」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ビートルズ日本公演
・ウィキペディア「ザ・スパイダース」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・スパイダース
・ウィキペディア「ブルー・シャトウ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ブルー・シャトウ
・ウィキペディア「ザ・タイガース」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・タイガース
・ウィキペディア「ザ・テンプターズ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・テンプターズ
・JOYSOUND「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」 https://www.joysound.com/web/s/karaoke/feature/annual_age_2025

動画

・ブルー・シャトウ(Jacky Yoshikawa & His Blue Comets - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=pnMYPAsN6UI
・君だけに愛を(The Tigers - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=UnngsmmnfOY

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