No.85新着 また逢う日まで(尾崎紀世彦・1971年) 二度ボツになったメロディが、レコード大賞を取った
筒美京平の曲は、もとはエアコンのCMソング候補として作られて不採用になり、次に阿久悠の詞でズー・ニー・ヴーが「ひとりの悲しみ」として出したが売れなかった。阿久悠が詞を「別れ」に書き直し、尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」は1971年にオリコン1位、レコード大賞と日本歌謡大賞を同時に受けた。二人が納得して別れる、という描き方が新しかったとされる。
本文と出典
あらまし
「また逢う日まで」は1971年3月5日に日本フォノグラム(フィリップス・レコード)から出た尾崎紀世彦の2枚目のシングルである。作詞は阿久悠、作曲・編曲は筒美京平。オリコンの週間1位を1971年5月17日付から7月12日付まで続け、年間3位に入った。同じ年の12月31日、第13回日本レコード大賞と第2回日本歌謡大賞の大賞をそろって受け、その夜の紅白歌合戦には白組の一番手として初出場した。
この曲は、一つのメロディが二度世に出そこない、三度目で大ヒットになったという経緯で知られる。同じ作曲家、同じ作詞家でも、詞のテーマと歌い手が変わると結果が大きく変わることを示した例である。
主なできごと
・1969年 三洋電機のエアコンのCMソング候補として筒美京平が作る。やなせたかしの詞、槇みちるの歌。スポンサーの方針変更で不採用
・1970年2月 阿久悠の詞でズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」として発売。ヒットせず
・1971年3月5日 阿久悠が詞を書き直し、尾崎紀世彦「また逢う日まで」として発売(B面「帰郷」)
・1971年5月17日〜7月12日付 オリコン週間1位
・1971年12月31日 日本レコード大賞・日本歌謡大賞の大賞。第22回紅白に白組トップバッターで初出場
・1972年 第44回選抜高等学校野球大会の入場行進曲
・2012年5月31日 尾崎紀世彦が69歳で死去。9月のお別れの会で参列者が全員でこの曲を歌う
生まれたいきさつ:三度目の正直
ウィキペディアによると、筒美京平は1969年に三洋電機のエアコンのCMソング候補として3曲を書いた。その1曲に、のちに「アンパンマン」の作者として知られるやなせたかしが詞を付け、槇みちるが歌った。ところがスポンサーの方針が変わり、使われなかった。
このメロディを惜しんだのが、音楽出版社・日音の村上司である。村上はズー・ニー・ヴーの新曲に回し、詞を阿久悠に頼んだ。こうしてできた「ひとりの悲しみ」は1970年に出たが、ヒットしなかった。
村上はあきらめず、尾崎紀世彦に「ひとりの悲しみ」を試しに歌わせた。尾崎も気に入ったとされる。村上は阿久悠に詞の書き直しを頼んだ。阿久ははじめ渋ったが、何度も頼まれて引き受け、テーマを「別れ」に変えて題も「また逢う日まで」とした。なお、NHKの番組の要約では、尾崎自身は最初「ひとりの悲しみ」をカバーするつもりだったとされ、細部は資料で違いがある。
売上
ウィキペディアは、オリコン集計で約95.6万枚とし、累計では100万枚を超えたとしている。阿久悠がオリコンの記事でこの数字に触れていることが脚注に挙がっている。
歌の内容を読む
男と女が別れる場面だが、どちらかが捨てられる話ではない。二人が互いに理由を話さず、相手を責めず、それぞれの名前を書いた部屋のドアを閉めて出ていく。これからはそれぞれの道を行く、また会うときまで、という気持ちで締めくくられる。ゲットナビの記事で、ギャランティーク和恵は、去る者と泣く者という形ではなく、二人が納得して別の道へ進む前向きな別れとして描いた点に、阿久悠の挑戦があると評している。1971年当時の別れの歌としては、乾いた描き方だった。
カラオケで歌うなら
ソロ曲である。演奏時間は2分55秒と短い。尾崎紀世彦の張りのある声で知られる曲なので、思い切り声を出したい人に向いている。2012年の尾崎のお別れの会で、約600人の参列者が全員でこの曲を合唱したことからも分かるように、送別会や閉会の場で「また会おう」の意味をこめて歌われることが多いと考えられる。ただし、歌われる場面の統計は見つけられなかった。尾崎自身は2005年の番組で、まだこの曲を歌い切れていないと語ったとされる。
カバーの広がり
発売の年にザ・ピーナッツ、朝丘雪路が歌い、加山雄三、桑田佳祐(2009年)、山崎育三郎(2017年)、ももいろクローバーZ(2022年)などが続いた。1977年にはワールドカップバレーボールのイメージソングにもなった。
評価の分かれる点
「ひとりの悲しみ」の発売日は、ウィキペディアの本文で2月10日、脚注で2月1日と食い違っている。売上も約95.6万枚(オリコン)と「100万枚突破」(累計)の二通りがある。尾崎が最初から新しい詞で歌うつもりだったのかも、資料によって書き方が違う。
くらさんの考察
同じメロディが三度目で当たった理由は、詞のテーマと声の組み合わせにあると考えられる。「ひとりの悲しみ」は題のとおり悲しみに沈む歌だった。書き直した詞は、別れを悲劇ではなく区切りとして扱った。そこに尾崎紀世彦の太く明るい声が乗り、別れの歌なのに聴いたあとに力が残る曲になった。レコード大賞を取った年は高度成長の終わり近くで、人も物もよく動いた時代である。別れを前向きに描く歌が受け入れられた背景には、そうした空気もあったと考えられる。
ジージへの問いかけ
・1971年、ジージは17歳でした。レコード大賞のテレビ中継や、紅白で尾崎紀世彦が歌った場面を覚えていますか。
・もとはエアコンのCMソングだったと聞いて、曲の聴こえ方は変わりますか。
・別れの歌なのに明るい、というのは、ほかの昭和の歌と比べて珍しいと思いますか。
出典
・ウィキペディア「また逢う日まで (尾崎紀世彦の曲)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/また逢う日まで_(尾崎紀世彦の曲)
・ゲットナビ「ギャランティーク和恵が選ぶ『男と女の別れ歌』」 https://getnavi.jp/entertainment/242407/
・デイリースポーツ(尾崎紀世彦さんお別れの会・2012年9月3日) https://www.daily.co.jp/gossip/2012/09/03/0005350712.shtml
動画
・Mata Au Himade(Kiyohiko Ozaki - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=dXEFeL3YzUI
関連動画
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが音楽QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。