No.3新着 1960年代の歌 テレビの時代に、御三家・若大将・グループサウンズが並んだ
1960年代は、テレビが歌を広める主な場になった時代である。橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の「御三家」、世界のヒットチャートで1位になった坂本九「上を向いて歩こう」、自分で曲を書く加山雄三、ビートルズ来日後のグループサウンズが並んだ。夜の街ではムード歌謡が歌われ、日本調の歌に「演歌」という呼び名が付き始めた。
本文と出典
あらまし
1960年代の歌謡曲は、ひとつの形にまとまらない。ビクターの吉田正の弟子である橋幸夫は「潮来笠」でデビューし、舟木一夫は高校生活を歌い、西郷輝彦はクラウンから「君だけを」で出た。この3人が「御三家」と呼ばれる。同じころ、坂本九の「上を向いて歩こう」はアメリカで1位になり、加山雄三は映画「若大将」シリーズで、自作の曲をエレキギターとともに聞かせた。
1966年のビートルズ来日のあと、自分たちで楽器を弾いて歌うグループが次々にデビューし、「グループ・サウンズ」と呼ばれた。夜の盛り場では、ナイトクラブ生まれのムード歌謡が流れた。日本調の流行歌に「演歌」という言葉が当てられるのも、この時代の後半からである。テレビの歌番組とレコード大賞が、こうした多様な歌を一つの舞台に並べた。
主なできごと
・1959年 フジテレビ「ザ・ヒットパレード」始まる(〜1970年)
・1960年 橋幸夫「潮来笠」でデビュー、日本レコード大賞新人賞
・1961年 坂本九「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)。映画『大学の若大将』。石原裕次郎・牧村旬子「銀座の恋の物語」
・1962年 橋幸夫・吉永小百合「いつでも夢を」が日本レコード大賞
・1963年 「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」の題で米ビルボードHot 100の1位(6月15日付から3週)。舟木一夫「高校三年生」でデビュー
・1964年 西郷輝彦「君だけを」でデビュー。朝日新聞が日本調の曲に「演歌」の語を使う(初例とされる)
・1965年 加山雄三「君といつまでも」
・1966年 ビートルズ来日(6月30日から)。五木寛之の小説「艶歌」。橋幸夫「霧氷」が日本レコード大賞
・1967年 ブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」が日本レコード大賞
・1968年 オリコンのシングルチャート開始(1月4日付)。いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」
・1969年 内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」
御三家と学園ソング
舟木一夫の「高校三年生」(作曲・遠藤実)は発売1年で100万枚に達した。「修学旅行」「学園広場」と合わせて学園三部作と呼ばれ、団塊の世代が高校生だった時代に重なる。西郷輝彦の「君だけを」は約60万枚とされる。のちに野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹が「新御三家」と呼ばれたのも、この呼び名が定着していたからと考えられる。
世界で1位になった歌と、自作の若大将
「上を向いて歩こう」は、日本国内では1969年時点で100万枚、世界約70か国で1300万枚以上とされる。アメリカで当初は「SUKIYAKA」という題になりかけ、東芝レコードの求めで「SUKIYAKI」に直された。加山雄三は作曲のときに「弾厚作」の名を使い、「君といつまでも」は350万枚とされる。歌手が自分で曲を書く形は、のちのフォークやニューミュージックにつながる。
グループサウンズとムード歌謡
グループ・サウンズの呼び名は『週刊明星』から広まった。ブームは1967〜69年ごろで、最盛期には300以上のグループがあったとされる。ザ・スパイダース、ブルー・コメッツ、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどが人気を集めた。ただ、長髪とエレキギターは不良の象徴と見られ、NHKが長髪のグループを出さなくなるなどの反発も受けた。多くは1971年までに解散している。1969年ごろには、ブルー・コメッツもムード歌謡の方へ寄っていった。
ムード歌謡は、戦後に占領軍相手に演奏していたバンドが、銀座や赤坂のナイトクラブで歌謡曲風のダンス音楽を始めたのが起こりとされる。和田弘とマヒナスターズ、黒沢明とロス・プリモスなどのコーラスグループが代表で、ロス・プリモスの「ラブユー東京」はオリコンのシングルチャート最初の1位になった。
カラオケで歌うなら
カラオケDAMの2025年「演歌・歌謡」年間ランキングには、「ブルー・ライト・ヨコハマ」が13位、「高校三年生」が14位、「銀座の恋の物語」が23位、「いつでも夢を」が28位に入った。JOYSOUNDの2025年「演歌/歌謡曲」ランキングでも「高校三年生」は8位である。「銀座の恋の物語」はDAMのデュエット年間ランキングで20位に入っており、男女で歌う昭和の定番として残っている。
評価の分かれる点
「演歌」がいつから今の意味になったかは、説が分かれる。1964年の新聞記事を初例とする見方、1970年ごろにレコード会社の宣伝で定着したとする見方がある。演歌を「日本の伝統」とする見方に対し、戦後に作られた流行音楽の一つの型だとする研究もある。
くらさんの考察
1960年代に、歌は「聞くもの」から「見るもの」になったと考えられる。御三家の学生服やグループサウンズの長髪は、テレビの画面があってこそ意味を持った。一方、今のカラオケで歌われる60年代の歌は、「高校三年生」や「いつでも夢を」のような、みんなで声を合わせやすい曲が多い。画面で見せた歌より、声を合わせた歌のほうが長く残ったと考えられる。
ジージへの問いかけ
・ジージは御三家のうち、だれの歌をよく聞きましたか。
・グループサウンズの長髪やエレキギターが「不良」と見られたのを、当時どう感じていましたか。
・「上を向いて歩こう」がアメリカで1位になったと聞いたとき、どんな気持ちだったでしょうか。
出典
・ウィキペディア「御三家」 https://ja.wikipedia.org/wiki/御三家
・ウィキペディア「橋幸夫」 https://ja.wikipedia.org/wiki/橋幸夫
・ウィキペディア「舟木一夫」 https://ja.wikipedia.org/wiki/舟木一夫
・ウィキペディア「西郷輝彦」 https://ja.wikipedia.org/wiki/西郷輝彦
・ウィキペディア「上を向いて歩こう」 https://ja.wikipedia.org/wiki/上を向いて歩こう
・ウィキペディア「加山雄三」 https://ja.wikipedia.org/wiki/加山雄三
・ウィキペディア「グループ・サウンズ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/グループ・サウンズ
・ウィキペディア「ブルー・シャトウ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ブルー・シャトウ
・ウィキペディア「ムード歌謡」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ムード歌謡
・ウィキペディア「演歌」 https://ja.wikipedia.org/wiki/演歌
・ウィキペディア「オリコンチャート」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オリコンチャート
・ウィキペディア「ザ・ヒットパレード」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・ヒットパレード
・ウィキペディア「日本レコード大賞」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本レコード大賞
・ウィキペディア「筒美京平」 https://ja.wikipedia.org/wiki/筒美京平
・カラオケDAM公式「演歌・歌謡のカラオケ年間ランキング」 https://www.clubdam.com/genre/enka/ranking_year.html
・カラオケDAM公式「カラオケ年間ランキング(デュエット)」 https://www.clubdam.com/ranking/duet/year.html
・JOYSOUND公式「2025年JOYSOUNDカラオケ年間ランキング」 https://www.joysound.com/web/s/karaoke/contents/annual_ranking/2025
動画
・Sukiyaki(Kyu Sakamoto - Topic)https://www.youtube.com/watch?v=F284iB65-QU
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