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No.31新着 歌謡曲とは何か 放送局が「はやり歌」を言い換えた言葉が、昭和の歌全体の名前になった

「歌謡曲」は、1933年にJOAK(今のNHK)が「流行歌」「はやり歌」の代わりに放送で使ったことで広まった言葉である。レコード会社の専属作家と歌手の分業で作る歌を指し、1960〜70年代にテレビとともに黄金時代を迎えた。1990年代にJ-POPという呼び名が広まると、歌謡曲は「昭和の歌」を指す言葉に変わっていった。

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登録日時
2026年10月23日 21:15
出典を確かめた日
2026年10月23日
分野
ジャンル
立場
くらさんの考察
タグ
歌謡曲新着作詞家新着作曲家新着J-POP新着カラオケ新着
歌手・曲
松井須磨子、カチューシャの唄、中山晋平、筒美京平、阿久悠、なかにし礼
資料の種類
事典・概説
年代
1914〜1995年

本文と出典

あらまし

歌謡曲という言葉は、もとから大衆の歌を指していたわけではない。最初は箏曲など邦楽の新作に使われた言葉で、大正の大衆歌は「流行歌」と呼ばれていた。昭和の初め、放送局が「はやり歌」という呼び方を避けて「歌謡曲」と言い換え、それが日本の大衆歌全体の名前になった。
戦後の歌謡曲は、レコード会社に専属の作詞家・作曲家・編曲家がいて、歌手が歌い、プロデューサーがまとめる分業で作られた。1960年代にテレビが加わると歌謡曲は黄金時代に入る。1970年代には自分で作って歌うフォークやロックが出てきて、分業の歌とそうでない歌の境目が揺らぎ始めた。1990年代に「J-POP」という言葉が広まると、歌謡曲は昭和の歌を思い出させる言葉になった。

主なできごと

・1914年 「カチューシャの唄」(歌・松井須磨子、作曲・中山晋平、作詞・島村抱月と相馬御風)が大流行。唱歌調の歌が「流行歌」と呼ばれるようになる
・1923年 東亜蓄音器の総目録に「歌謡曲」の語が現れる。ただし宮城道雄の創作箏曲を指していた
・1927年 NHKの番組で、新作の琴唄や三弦歌謡が「歌謡曲」として放送される
・1933年 JOAK(現NHK)が「流行歌」「はやり歌」と呼ばれていた大衆歌を「歌謡曲」の名で放送する
・1960年代 テレビが歌の宣伝の中心になり、テレビ歌謡が発展する
・1988年末〜1989年初め J-WAVE の社内で、日本のポップスを指す「J-POP」という呼び名が生まれる
・1993〜1995年ごろ 「J-POP」が一般に定着する
・2011年 なかにし礼『歌謡曲から「昭和」を読む』(NHK出版新書)が、歌謡曲は昭和で終わったと論じる

言葉の生まれ:箏曲の名前から大衆歌の名前へ

ウィキペディアによると、命名者には二つの説がある。NHKで邦楽番組を担当していた町田嘉章とする説と、1922〜1925年にあったレコード会社、東亜蓄音器とする説である。1923年の東亜蓄音器の目録に出てくる「歌謡曲」は、宮城道雄の新しい箏曲を指していた。1927年にはNHKが新作の琴唄などを「歌謡曲」として放送し、同じ年に西條八十作詞・町田作曲の歌も「歌謡曲」の名で流れている。この段階では、新しく作られた日本の歌曲を指す言葉だった。
大衆歌の名前になったのは1933年である。JOAKは、それまで「流行歌」「はやり歌」と呼んでいた歌を「歌謡曲」と呼んで放送した。理由として、まだ流行るか分からない歌を「はやり歌」と呼ぶのはおかしいこと、レコード会社の宣伝になるのを避けたいことが挙げられている。当時の流行歌は低俗と見られていたので、放送でその名を使いたくなかったという見方もある。1933〜1934年ごろから、歌謡曲は日本の大衆歌全体を指す言葉として使われるようになった。

分業の歌と、テレビの黄金時代

ウィキペディアは歌謡曲の作り方を「分業システム」と説明している。作詞家・作曲家・編曲家が曲を作り、歌手が歌い、レコード会社のプロデューサーが仕上げる。歌手は自分で曲を作らず、作り手の名前が歌の個性を決めることも多かった。
1960年代にテレビが歌を広める中心になると、テレビでの見せ方を重く見たテレビ歌謡が育つ。作曲家の筒美京平、作詞家の阿久悠らの作家陣がヒットを続け、歌謡曲は黄金時代を迎えたとされる。1970年代になると、テレビに出ないフォーク歌手やロックのグループが現れた。自分で作って歌う人たちは、分業で作る歌謡曲とは別のものとして語られることが多い。

歌謡曲の範囲は人によって違う

歌謡曲の範囲は一つに決まっていない。ウィキペディアは、狭い意味では古いタイプの歌謡曲が「演歌」「艶歌」とされること、広い意味でニューミュージックやロックを含めるかは時代と論者で違うことを紹介している。「昭和歌謡」と言うと、アイドルの歌からアニメの歌まで、昭和のポピュラー音楽全般を含むことが多い。
J-POPとの境目も同じくあいまいである。J-POPという言葉は、1988年末か1989年初めに東京のFM局J-WAVEの中で生まれ、1993〜1995年ごろに一般に定着した。1990年代後半にはCD店の邦楽売り場の名前にもなり、日本のポップス全体を指すようになった。『日本大百科全書』は、J-POPを、歌謡曲・ニューミュージック・ポップス・ロックの区分が崩れたあとの1990年代以降の総称としている。小室哲哉は歌謡曲からJ-POPを切り離したプロデューサー、小林武史は歌謡曲とのつながりを保ちながら新しくしたプロデューサーと見る評もある。

カラオケで歌うなら

JOYSOUNDが発表した「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」(2025年1月1日〜11月15日、会員の歌唱記録で集計)では、60代の上位20曲に、欧陽菲菲「雨の御堂筋」(6位)、尾崎紀世彦「また逢う日まで」(19位)、テレサ・テン「つぐない」(20位)といった昭和の歌謡曲が入っている。一方、同じ集計の10代〜40代の上位20曲には、昭和の曲は見当たらない。歌謡曲は、今のカラオケでは主に50〜60代が歌う歌になっていると考えられる。ただし、この数字はJOYSOUNDの会員の記録であり、カラオケ全体を表すものではない。

評価の分かれる点

「歌謡曲」の命名者は、町田嘉章説と東亜蓄音器説があり、決まっていない。番組「国民歌謡」がこの言葉を一般に広めたという見方もある。歌謡曲がいつ終わったかについても、なかにし礼は「昭和で終わった」とし、その理由にCDの普及で歌をみんなで共有することが減ったことなどを挙げたが、歌謡曲はJ-POPの中に形を変えて残っているという見方もある。

くらさんの考察

歌謡曲という言葉は、歌の中身からではなく、放送局の都合から生まれた。「はやり歌」と呼ぶと宣伝になる、品がないと思われる。そこで少し硬い言葉に言い換えた。その言い換えが半世紀以上使われ、昭和の歌全体を指す言葉になったと考えられる。J-POPもラジオ局の企画から生まれた言葉で、ジャンルの名前を作るのが放送局だという点は、昭和と平成で変わっていないと考えられる。

ジージへの問いかけ

・ジージが若いころ、「歌謡曲」と「流行歌」はどう使い分けていましたか。それとも同じものと感じていましたか。
・作詞家・作曲家が作って歌手が歌う歌と、自分で作って歌う歌とで、聴くときの気持ちに違いはありますか。
・今のJ-POPを聴いて「これは歌謡曲だ」と思う歌はありますか。

出典

・ウィキペディア「歌謡曲」 https://ja.wikipedia.org/wiki/歌謡曲
・ウィキペディア「J-POP」 https://ja.wikipedia.org/wiki/J-POP
・JOYSOUND「2025年 年代別カラオケ年間ランキング」 https://www.joysound.com/web/s/karaoke/feature/annual_age_2025

動画

・Blue Light Yokohama/ブルー・ライト・ヨコハマ (Ayumi Ishida/いしだあゆみ, 1969)(J-DIGS)https://www.youtube.com/watch?v=fqE3Yj6S6PQ

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この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが音楽QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。