No.51新着 カラオケの誕生 スナックの8トラックから始まり、発明者は一人に決まらない
カラオケは1960年代の終わりから70年代の初めに、8トラックテープの再生機にマイクを付けた機械としてスナックや酒場に置かれたのが始まりとされる。発明者には根岸重一(1967年)、浜崎厳(1968年)、井上大佑(1971年)らの名が挙がり、一人には決まらない。誰も特許を取らなかったことが、かえって業界を一気に広げたと考えられる。1980年代にはレーザーディスクで映像と歌詞が画面に出るようになった。
本文と出典
あらまし
カラオケは、伴奏だけを流してその上で客が歌う仕組みである。言葉としての「カラオケ」は、「空(から)」と「オーケストラ」を縮めたもので、もとは生の楽団の代わりに録音した伴奏を使うことを指す放送業界の用語だったとされる。機械としてのカラオケは、1960年代の終わりから70年代の初めに、自動車用の8トラックテープの再生機にマイクを足した装置がスナックや酒場に置かれたところから広がった。
発明者については複数の人の名前が挙がる。1967年に8トラックの装置を作った根岸重一、1968年に「ミニジューク」を出した浜崎厳、1971年に「8ジューク」を作った井上大佑などである。nippon.com の解説は、単独の発明者は特定できないとし、1965〜75年の「黎明期」に関わった12人の起業家がいたと紹介している。誰も装置の特許を取っていない点は共通している。
主なできごと
・1956年 宝塚歌劇団の楽団員がストライキを起こし、松下電器が演奏テープと機器を用意して公演を行った。楽団の席が空だったことから「カラオケ」の言葉が生まれたとする説がある
・1967年 根岸重一が8トラックのカーステレオにマイクの回路を組み込んだ装置を考案。国際商品が「ミュージックボックス」「スパルコボックス」などの名で売り出す
・1968年 浜崎厳が「ミニジューク」を発売
・1971年 井上大佑が「8ジューク(エイトジューク)」を開発。太洋レコードやクレセントが8トラックの伴奏テープを店に貸し出し始める
・1972年 井上大佑が神戸市で8ジュークの貸し出しを始める
・1975年 硬貨を入れて動くコインボックス付きの8トラック機が出る
・1977〜78年 日本ビクターが8トラックのカラオケを出し、8トラックの全盛期になる
・1982年 パイオニアがレーザーディスク(LD)のカラオケを発売
・1999年 米誌「タイム」が井上大佑を「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」に選ぶ
・2004年 井上大佑がイグノーベル賞の平和賞を受ける
・2024年 根岸重一が100歳で死去。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが「カラオケの発明者」として訃報を載せた
言葉の由来
「カラオケ」の語源には二つの話がある。ウィキペディアは、生演奏の代わりにレコードやテープを使うことを指す放送業界の用語だったと説明し、NHK交響楽団の団員の雑談から生まれたという説も載せる。一方 nippon.com は、1956年の宝塚歌劇団の楽団員のストライキのとき、空になったオーケストラボックスを見て生まれた造語だとする。どちらも「楽団がいない伴奏」という意味では同じで、機械より言葉のほうが先にあったことになる。
発明者をめぐる諸説
根岸重一は東京都板橋区で日電工業を営み、カーステレオなどを組み立てていた。1967年夏ごろ、8トラックのカーステレオにマイクを混ぜる回路を組み込んだ試作機を作り、家族が夢中で歌う様子を見て商売になると感じたと振り返っている。国際商品が1967〜73年に約8,000台を売ったとされ、マイク付きの再生機・伴奏テープ・歌詞カードの3点組で、硬貨で時間を区切る仕組みもあった。根岸自身は1975年に事業から手を引いた。
井上大佑は1940年に大阪で生まれ、高校生のころからバンドマンとして活動していた。1971年の8ジュークは、8トラックの再生機に、歌う人に合わせて調子(キー)や速さを選んだ伴奏テープを組み合わせ、リースで店に置いた。ウィキペディアによると、初期は硬貨式で、テープ1本に4曲、10本で40曲、5分100円だった。井上はのちに「カラオケを創った男」として紹介されることが多いが、本人も特許は取っていない。
浜崎厳の「ミニジューク」(1968年)は、ウィキペディアで名前と年が確かめられるだけで、くわしい経緯は確認できなかった。
8トラックからレーザーディスクへ
初期のカラオケは音だけで、客は歌詞カードを見ながら歌った。全国カラオケ事業者協会の年表では、1977〜78年に日本ビクターが参入して8トラックが全盛期を迎え、同じころ映像付きのビデオカセットのカラオケも出ている。1982年にパイオニアがレーザーディスクのカラオケを出すと、画面に映像と歌詞が映り、歌う箇所に合わせて歌詞の色が変わるようになった。この形は「レーザーカラオケ」と呼ばれた。1980年には社交場で採点機が流行していたと年表にあり、点数を競う楽しみ方もこのころからあった。
カラオケで歌うなら
8トラックの時代、伴奏テープは曲ごとに決まった調子で作られていた。井上の8ジュークが歌う人に合わせた調子や速さのテープを用意したのは、素人の声域に伴奏を寄せるという、今のキー変更の考え方の先駆けと見ることができる。
評価の分かれる点
「カラオケの発明者」をだれとするかは定まっていない。日本では井上大佑の名が広く知られ、海外の賞や雑誌も井上を取り上げた。一方で、根岸重一の装置は井上より4年早く、2024年の訃報では米紙が根岸を「発明者」と呼んだ。どちらも特許を取っておらず、法的に「最初の人」を決める手がかりもない。言葉の由来も、放送業界の用語説と宝塚のストライキ説がある。
くらさんの考察
カラオケが短い間に全国の酒場に広がったのは、特許がなく、何社もが同じ仕組みの機械とテープを出せたからだと考えられる。もし一人が権利を握っていたら、値段が下がらず、伴奏テープの曲数も増えにくかったはずである。発明者が一人に決まらないことは、カラオケが個人の発明というより、カーステレオと8トラックテープが余っていた時代の「思いつきの重なり」から生まれたことを示していると考えられる。
ジージへの問いかけ
・ジージが初めてカラオケで歌ったのは、スナックの8トラックの機械でしたか、それとも画面に歌詞が出るレーザーディスクのころでしたか。
・歌詞カードを手に持って歌う時代と、画面の歌詞を追う時代とで、歌い方や覚え方は変わったと思いますか。
・発明者が特許を取らなかったことを、もったいないと見ますか、それとも業界にとってよかったと見ますか。
出典
・ウィキペディア「カラオケ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/カラオケ
・ウィキペディア「井上大佑」 https://ja.wikipedia.org/wiki/井上大佑
・ウィキペディア「根岸重一」 https://ja.wikipedia.org/wiki/根岸重一
・全国カラオケ事業者協会「カラオケ歴史年表」 https://www.karaoke.or.jp/03nenpyo/
・nippon.com「世界的な娯楽となったカラオケの進化の歴史とポストコロナ」(2021年9月24日) https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01173/
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが音楽QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。